名所旧跡 -幸区-
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あ行

あぐり地蔵尊
- 所在地
幸区小倉
末吉橋から小倉への入口にあたるところに建っている子どもが元気に育ち良い子どもが生まれるという願いをかなえてくれるというお地蔵様。

石井家長屋門
- 所在地
幸区古川町139 - 交通
JR川崎駅からバス「小向西町」
市立古川小学校の近くに古川村の名主をつとめた石井家があり、1820年に再建された「長屋門」がある。正面から向かって左側に人が住み、右側には年貢米が収められた。

小倉池・小倉用水(小倉緑道)
- 所在地
幸区小倉
小倉緑道は二ヶ領用水から分岐して小倉一帯の田圃を潤す水源として利用されていた小倉用水が流れていた跡(1952年に埋立)であり、緑道の南端には記念碑がある。
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尾觜水権現・おしみず坂
- 所在地
幸区北加瀬1-38
幸区合同庁舎近くの庚申堂の右手の小段を少し下った場所に「尾觜水権現(おしみずごんげん)」という水神様を祀ったお堂があり、かつてはこのあたりから加瀬山に登る道を「おしみず坂」といった。

か行

鹿島田分水口(大師堀、町田堀)
- 所在地
幸区鹿島田
久地円筒分水(高津区)で分かれた川崎堀は、鹿島田堰で古川村・大師河原村へ流れる大師堀と矢向村・小田村へ流れる町田堀の二つの用水路に分岐。鹿島田分水口は平間配水所そば、南武線の線路脇に残っている。
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北加瀬の辻(鎌倉古道)
- 所在地
幸区北加瀬2丁目6番地付近
二股路の右手は、平間の渡しから鎌倉へと続いた「鎌倉古道」であり、東海道が整備される前は東国と西国を結ぶ主要な道路。左手は「小杉道」といわれ、中原街道や府中方面への道として利用されていた。

旧明治製糖の護岸壁(荷揚場跡)
- 所在地
幸区堀川町580番地先 - 交通
JR川崎駅
1924年に明治製糖が輸入原糖の荷揚げ用に建設した荷揚場跡で多摩川右岸遊歩道沿いに赤レンガ造りの珍しい護岸壁が現存している。
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小向の渡し
- 所在地
幸区小向仲野町
小向村の対岸への作場渡しで小向仲野町16番地の道路脇には小さな記念碑が立てられている。1924年頃に廃止されたとの記録が残る。

は行

百番供養塔・庚申塔
- 所在地
幸区
約200年ほど前に南河原や大師河原の農民が出羽三山に参拝した際の記念碑が「百番供養塔」で、江戸時代、日照りが続くと大山や出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)などに参拝し天の神様に降雨の祈願をしていたという。

深瀬家長屋門
- 所在地
幸区
江戸時代に名主を務めていた深瀬家の長屋門で、1722年に建てられたと伝わる。

古市場の渡し(矢口の渡し)
- 所在地
幸区東古市場(多摩川大橋上流河川敷) - 交通
044-233-8584
「矢口の渡し」は別名「古市場の渡し」ともいい、古代の東海道や鎌倉街道下ノ道など古くに開設された渡舟場であった。渡舟場所は、現在の多摩川大橋下の川崎リバーサイドゴルフ場を横断した河岸の辺りと推定されている。

本田地蔵尊
- 所在地
幸区紺屋町26 - 交通
044-233-8584
江戸時代、巡礼の母娘が訪れ、娘は身重で死産のうえ亡くなり、哀れに思った村人が手厚く葬り藤の木を目印に植えた。母はこの地を去ったが数年後戻って来て「死んだら地蔵にして娘のそばに置いてください」と亡くなった。本田婆さん地蔵であり、関東一円に悪い風邪がはやっても村人はかからず、「カゼの守り神」として信仰されている。

ま行

南加瀬貝塚跡
- 所在地
幸区南加瀬1丁目(幸区日吉合同庁舎付近)
縄文時代前期の海進期には鶴見川・矢上川あたりまで海だったといわれ、加瀬山は海に浮かぶ小島のようになっており、人が暮していたと推定されている。縄文時代(下層)・弥生時代(上層)の特色をもった貴重な貝塚である。
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や行

夢見ヶ崎古墳群・秋草文壺
- 所在地
幸区北加瀬1-13-1他(夢見ヶ崎動物公園内) - 交通
JR川崎駅からバス「夢見ケ崎動物公園前」
加瀬山では判明しているだけでも11基の古墳があり、「三角縁神獣鏡」などの鏡類や鉄器類や人骨などが見つかり、また、1942年に発見された骨壷の「秋草文壷」は1953年に陶器の分野での国宝第1号となっている。
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川崎市市民文化局市民文化振興室
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
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