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菅生地域の初等教育の歴史

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菅生地域の初等教育の歴史

菅生分館で活動されている「宮前の歴史を学ぶ会」の杉田墾生さんによる、『菅生地域の初等教育の歴史』の連載です。

菅生の地に初めてできた小学校 初山学舎

 明治新政府が公布した「学制」の構想に沿って明治6年に下菅生村と平村が連合して初山学舎を設立。初山本遠寺(ほんのんじ)を仮校舎として児童79名と教員1名で開校。翌年には校舎を新築。

 学校の設立運営の経費は民費負担が原則とされていたこの時代、この山間の貧しい村が逸早く学舎を設立開校、然も就学率は50%を超えていた。

 この動きは学舎設立運営にあたった世話役の熱意もさること乍ら、村民の向学心や学舎に対する期待感の現れといえよう。

(当時、市域での小学校設立は構想の35%程度、全国の就学率は30%であった。)

白黒の古い写真で、建物の正面を斜めから撮影。建物向かって右には木が植えられてる。

仮校舎となった本遠寺

<菅生分館だより 2020年1月号(No.156)>

初山学舎の初代教員「糟谷思聡先生」

 糟谷先生は飯田藩の藩侯に近侍として仕えていたが廃藩置県で失職。彼の才能を見込んだ初山学舎設立の世話役達は、学舎設立と同時に彼を初代教員として招いた。

 教壇に立った先生は、誰にでも穏やかに接し、誠意をもって指導にあたったので、子ども達の進歩も目覚ましかったそうである。先生が転勤する際には、子ども達は父母と別れるかのように敬慕して泣いたといわれている。

 先生がなくなられた後、彼の薫陶を受けた教え子や村人たちは、その学恩に報い遺徳を偲ぶ為に追悼の碑を建立。碑は現在も初山本遠寺参道の石段脇に設置されている。
緑に囲まれた石碑。「思聡」の文字と碑文が刻まれている。

追悼の碑

<菅生分館だより 2020年2月号(No.157)>

蔵敷の地に設立された菅生分教場

 明治43年向丘村立尋常高等向丘小学校の分教場として蔵敷(現こども支援センター及び菅生分館)の地に設立。教室1と職員住宅が併設された校舎で、菅生地区(蔵敷、稗原、犬蔵、初山、長沢)の1,2年生が複式学級で学んでいた。その後、大正11年に教室と職員室が増築され、2教室となった分教場には1~4年生迄が通学、1,2年生と3,4年生の複式の2学級となった。

 さらに夜間の分教場は青年夜間学校となり、菅生地区の青年の学びの場にもなった。言わば菅生文化の発祥の地、中心の地となった。

灰色の屋根の校舎と渡り廊下でつながった小さな建物が描かれている。

菅生分教場の絵図

<菅生分館だより 2020年4月号(No.158)>

国民学校の頃の菅生分教場と子ども達

 昭和16年4月1日国民学校令施行により向丘国民学校菅生分教場と改称。分教場も子供達も戦時体制の中に組み込まれてしまった。開戦当初、山間の静かな分教場の子ども達にとっては、まだまだ戦争の実感は乏しかった。

 しかし、昭和19年~20年になると、防空頭巾を肩に掛けての通学、校庭には土饅頭形の防空壕、教室は疎開してきた子と地元の子で一杯に、授業は軍事色一色、避難訓練、さらに遠く高くB29の編隊と高射砲の音、戦争の怖さ恐ろしさを実感するようになった。

 戦争末期には警戒警報が度々出され、避難した後は下校となった。そして分教場には軍隊が駐留。長安寺が臨時の学び舎になったが、ここには渡田国民学校の児童が学童疎開してきていて一緒の学び舎となった。もう落ち着いて学べる環境では無くなっていた。そして終戦へ。

 この戦争で、分教場の児童の中に命を落とした子がいなかったことは不幸中の幸いであった。

白黒の古い写真。平屋建ての木造の校舎が写っている。

国民学校の頃の菅生分教場

<菅生分館だより 2020年5月号(No.159)>

菅生小学校の開校と分校の廃校

 向丘小学校の児童数が飽和状態になり、昭和42(1967)年4月1日菅生の地に菅生小学校を開校、児童数766名、19学級であった。

 その開校は、当地区の急激な児童数の増加が新設校舎の収容能力を大きく上回り、本校だけでは全児童を収容しきれず、菅生分校を併用しての門出となった。(本校430名11学級、分校336名8学級)

 翌年には校舎が増築され、一年を経て全学年揃っての学び舎となった。同時に58年間もの長きに渡って菅生地区の小学校教育を担ってきた菅生分校は、ここに幕を閉じたのであった。

(現「こども支援センターすがお」門前に分校跡記念碑あり)

少し高いところから撮影された白黒の古い写真で、建物3棟とそれに囲まれた中庭が見える。

1967年当時の菅生分校

青空の下に白い3階建ての校舎が写っている。校舎横の道路から撮影した写真。

現在の川崎市立菅生小学校

<菅生分館だより 2020年9月号(No.160)>

お問い合わせ先

川崎市宮前市民館菅生分館
電話:044-977-4781
ファクス:044-976-3450
メールアドレス:88sugasi@city.kawasaki.jp
住所:〒216-0015川崎市宮前区菅生5丁目4番11号

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