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事業承継 事例紹介(第21回~)

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川崎市青年工業経営研究会(二水会)外部リンクの会員企業など市内中小企業の事業承継(親族内承継、従業員承継、M&A等)の実例を紹介しています。

第21回 焼結合金加工株式会社(中原区)

頭の中を”言語化” 組織図経営で会社が動き出す

 

 中原区で特殊材加工を手掛ける焼結合金加工の高柳昌睦社長は、38歳で4代目社長に就任した。“1対35”だった組織を変え、社員の意識改革に成功した秘訣は「社長の頭の中の言語化」。川崎市の事業承継支援スキームを活用し、伴走支援コーディネーターの山田卓矢氏と二人三脚で取り組んだ1年間を振り返ってもらった。

─事業承継について教えてください

 高柳社長 事業承継を視野に同社に入社したのは2014年、30歳の時でした。当時3代目社長に就任したばかりの父が体を壊し、母から相談されました。高校卒業後、配送ドライバーや内装工事など全く畑違いの仕事をしてきましたが、「父の助けになりたい」という思いから未経験の製造業に飛び込みました。
 事業承継で4代目社長となったのは22年、38歳のときです。周りでは30代での社長交代が珍しかったので、先輩経営者たちが話題にしてくれ、それが行政などの耳にも届きました。興味を持ってくれたり、心配してくれたりするようになり、行政との関わりも増えていきました。

─川崎市の伴走支援はどのように始まったのですか

 高柳社長 「事業承継を見据えた小規模事業者経営力向上伴走支援事業」の発表会を聞きに行きました。実は、先代の時は行政の支援に積極的ではありませんでした。私自身、失礼ながら行政の事業は正直テンプレート的な内容かなという先入観もありました。でも、若くして事業承継した私を以前から気にかけてくれ、プッシュ型で勧めてもらい、やってみようと思いました。

─具体的にはどのような支援を?

 山田氏 月1回、合計で約10回のミーティングを重ねました。最初は「経営の悩みを何でもいいから話してください」と壁打ちから始めます。話を聞きながら情報を整理し、目指す姿に対する打ち手で整合性の合わない部分は細かく詰めていく。ホワイトボードを使い、社長の考えを可視化し、将来像の解像度を上げていきました。

─得られた成果は

 高柳社長 目からうろこでした。一番は「言語化」の大切さです。社長は一人で頭の中で悩みがちですが、それでは従業員に伝わらない。「いかに相手に伝わるように伝えるか」を学びました。そして、将来像を実現するために必要なこととして組織づくりに着手しました。
 これまでは「1(社長)対35(残り全員)」の構図。それを組織図に落とし込み、各自に役割を与え居場所をつくることで、小集団を意識する形に変えた。すると社員の意識が変わってきたんです。経営デザインシートを作ったことで、「まずは、自ら作った自分が率先してやらなければ」と行動も変わりました。

─これから事業承継に臨む方へ

 高柳社長 「自社こそは」という明確な課題がなくても事業承継支援に参加してよいと思います。現状のポジショニングを理解するため、くらいの気持ちで。中小製造業の社長は言語化が苦手な人が多いと思います。頭では考えていても伝わっていないことがあります。だからトレーニングにもなります。会社を変えたいなら、まず行動を変えること。一度使ってみると支援制度にも慣れていきます。

(かながわ経済新聞 令和8年2月号 第21回かわさき発・事業承継秘話『未来へのバトン』より)

第22回 乾(ワインデポ・イヌイ)×久保田酒店(川崎区)

「終わることが幸せ」 そんな事業承継もある

 事業承継と聞けば、後継者へバトンを渡し会社を存続させることを思い浮かべる人が多いだろう。だが、「終わらせる」ことで関係者全員が幸せになる承継の形もある。小売酒販業として約70年の歴史を持つ乾(川崎市川崎区東田町)の奥茂樹社長が選んだのは、顔の見える地域企業への事業譲渡という道だった。

 今回の承継を陰で支えたのは、地元密着の行政による産業支援だった。川崎市経済労働局の木村佳司氏の実家は酒屋だったが、今はもうない。その木村氏は行政職員として約30年、現場主義で市内企業の支援に携わっている。
 近年、後継者不在による廃業が増えてきたという。「川崎発の優れた技術やサービスを持つ企業をなくしたくない」。そんな思いから、木村氏は現場に出向き、経営者の声に耳を傾けてきた。後継者育成講座の開催や専門家と組んだ伴走支援もその一環だ。酒屋の次男として育った木村氏にとって、同業の乾が抱える悩みはひとごとではなかったに違いない。

■どうしても言えない

 奥社長には後継者がいなかった。子供たちは別の道を歩んでいる。60歳を迎える頃、従業員には「そろそろ辞めようと思う」と伝え、会計事務所にも相談を始めていた。
 しかし、取引先にはなかなか言い出せなかった。特に、創業者である父の代から開拓してきた得意先とは、単にお酒を卸すだけの関係ではない。「お客さんにほれてなんぼ」。奥社長は携帯電話を24時間肌身離さず持ち歩き、要望には最大限の努力を重ねてきた。辞めるに辞められないまま、川崎市に相談したのは2023年4月のことだった。

■老舗が手を組み地域を守る

 ここから約2年半の伴走支援が始まった。対話を重ねる中で浮上したのが市内企業への事業譲渡という選択肢だった。「あの社長なら…」と候補に挙がったのは、約100年続く老舗の久保田酒店(川崎区池田)だった。
 両社が顔を合わせたのは24年7月。奥社長は仕入れ先、取引先、経営数字のすべてを隠さず開示した。「7月に話を聞いたのに、9月には承継を完了させたい。1週間で決めてほしいという話でした」と、久保田酒店の窪田隆太郎社長は振り返る。
 今やM&Aの話は電話やはがきで山のように届く時代。だが、すべてを明かす奥社長の姿勢に信頼が生まれた。「隠し事なく話すということは、プライドもあり難しいこと。でも、同業だからこそ分かることがあります」と窪田社長は語る。

■立つ鳥跡を濁さず

 酒販業界には「蔵元の壁」がある。新規参入が難しい世界だ。だが、長年築いてきた奥社長の信頼関係により、引き継ぎは順調に進んだ。主要取引先80社のうち79社を引き継ぐことができたという。
 「久保田酒店さんが困るようなことがあってはならない」。奥社長は得意先を一緒に回り、丁寧にフォローを続けた。
 同年9月、事業譲渡が完了。11月には店舗の活用先も決まった。市のマッチング支援により、中小企業支援を手がけるナエドコ(東京都中央区)が借り手となり、26年1月、食の交流・発信拠点「醸し座」としてオープン。久保田酒店のお酒も卸されており、事業を引き継いだ者同士が新たな形でつながった。
 「行政がこんなにも親身に向き合ってくれるとは思わなかったです」と奥社長。事業譲渡を終えた今、新たな夢ができたという。「娘が暮らす藤沢の地で、食に関わるコミュニティビジネスを始めたいと思っています」(同)。約70年の歴史に幕を下ろした経営者の目は、次の挑戦を見据えている。

(かながわ経済新聞 令和8年3月号 第22回かわさき発・事業承継秘話『未来へのバトン』より)

第23回 有限会社トワダ(高津区)

人生設計と承継プランの両立へ “二兎を追う”バトンタッチを推進中

 高津区で金属加工業を営むトワダは、2015年に阿部早苗社長が実父より経営を引き継いだ。その後、事業環境が大きく変わる中、自身の人生設計と企業の存続を両立させるため、市の事業承継スキームを活用しながら次世代へのバトンタッチに向けたアクションプランを策定した。きっかけは、自身の突然の事業承継にあったという。阿部社長と伴走コーディネーターの市川優氏に約1年間の取り組みを振り返ってもらった。

─どのように事業承継したのでしょうか。

阿部社長 創業者の父は現場が好きな典型的な技術者で、会社の経営にはあまり興味がなかったと思います。そのため私は、事業承継前から、営業や経理や顧客対応などを行ってきました。15年2月、先代が突然辞めると言いだし、4月に急きょ社長交代して先代は退社。株も買い取ることに。このときも、大きく困ることはありませんでした。社長になって特に努めたのが「社員の和」を重視した経営です。SAFETY、SERVICE、SPECIALITY、STUDY、SMILEという独自の「5S」を企業方針として掲げ、採用面でもダイバーシティを意識しました。

─市の伴走支援はどのように始まったのですか。

阿部社長 父とのあつれきを経験したため、社長というのは“次”を決めないと辞められないということを、継いだ瞬間から意識してきました。当初は親族も後継候補として考えましたが、課題も多く、困っていたところ、この伴走支援について知りました。
市川氏 24年5月頃から始め、合計でおよそ10回におよぶミーティングを重ねました。「経営デザインシート」を用いながら会社の強みや弱み、理想とする事業の姿と現実とのギャップなどを細かく“壁打ち”しながら伺っていき、事業承継にまつわる課題を具体的に洗い出した上で、1枚のペーパーに落とし込みました。

─支援を受けてどう変わりましたか。

阿部社長 率直な感想を述べれば、今回の支援がなければ自分だけでは決断できなかったと思います。市川氏から「56歳の誕生日までに後継者の答えを出しましょう」と背中を押され、踏ん切りが付きました。その日に向けて、今以上に会社の売り上げを伸ばし、自己資本比率を高め、もっと働きやすい会社にしていきます。「会社の状態」を良くしていけば、トワダにとっても、当社を継いでくれる人にとっても選択肢が増える─。そんな頭の整理ができたことが一番の収穫です。

─今後について教えてください。

阿部社長 当社の強みは一般精密板金加工、銅管パイプ加工、銀ロウ付けの3本柱を一貫して手掛けられる点にあります。このうち銀ロウ付けについては、希少な技術でもあるので社員の多能工化を図りながら技術の継承を急ぎたいと考えています。

─これから事業承継に臨む方に一言お願いします。

阿部社長 事業承継では経営者の人生設計と企業の体制作りを並行して考える必要があります。その際に求められるトップとしての心構えや決断力を養う体制を、意識的に整備しておくことが大切かと思っています。

(かながわ経済新聞 令和8年6月号 第23回かわさき発・事業承継秘話『未来へのバトン』より)

第24回 有限会社山本製作所(高津区)

強み・弱みの“言語化”が転機 30代後継者が描く承継の青写真

 高津区で光学機器向け精密部品加工を手がける山本製作所は、少数精鋭の町工場だ。パレットチェンジャ付きマシニングセンターを4台そろえ、中ロット加工の効率性で評価されてきた。創業から60年超。いま、3代目への事業承継準備が静かに動き始めている。後継者である山本康平氏は、2025年12月から川崎市の「小規模事業者経営力向上伴走支援事業」を活用し、自社の強み・弱みの言語化に取り組んできた。その過程で見えてきたものを、コーディネーターの長友博輝氏とともに振り返ってもらった。

─現在の事業承継の状況を教えてください。

山本氏 大学卒業後、ある営業会社に入りました。「契約が取れるまでは帰ってくるな」が当たり前の会社でしたが、当時は社会で働くとはそんなものだと思っていました。がむしゃらに3年ほど勤めた後、当時の上司が独立して立ち上げた新会社に参画し、いわば「スタートアップ」で3年間の経験を積みました。家業を継ぐ話はうすうすありましたが、まずは外で社会人として鍛えられたいという気持ちが強かったです。
 その後、5年ほど前に当社に入社しました。大学は機械工学科でしたが現場で機械を触った経験はなく、加工の知識もほぼゼロで、仕事を覚えるところからのスタートでした。

─市の伴走支援はどのように始まったのですか。

長友氏 最初に訪ねたのは24年頃です。父親である山本真一社長と事業承継について話す中で、30代の後継者候補がいることを知り、市の支援事業を案内しました。「財務の整理が一段落したタイミングで本格的に伴走に入りましょう」と話していました。
山本氏 社長から「市の伴走支援の話があるけど受けてみるか」と聞かれ、深く考えずに「やります」と答えたのがスタートです。

─具体的にはどのような支援を。

山本氏 当初、「ロードマップを作りましょう」と言われましたが、内心は拒否反応がありました。山本家は敷いたレールの上を歩く家系ではなく、私自身もそれが苦手で。最初の数回は漠然としたイメージしか言葉にできませんでした。
長友氏 初めは、ご自身がどんな道を歩み、会社がどんな経緯で今に至るのかを丁寧に伺いました。「他社にはこういうやり方がある」「こんな選択肢もある」と投げかけ、それに対し「自分はこうしたい」を繰り返しました。そうして少しずつ可視化していきました。
山本氏 点と点がつながり始めたのは4、5回目あたりです。「この目標のためにこれが要る」「会社のこの弱みは直さなくてはいけない」と整理できた瞬間、霧が晴れる感覚がありました。

─得られた成果は何ですか。

山本氏 一番は、当社の強み・弱みを言語化できたことです。強みは、パレットチェンジャ付きマシニングセンターを使った中ロット加工。20~200個程度の光学関連部品を、機械を止めずに連続稼働させることで効率よく加工できます。逆に1個物の単品試作は不得意領域。これをはっきり整理して営業に出ると、お客さまの食いつきがまったく違います。「どんな部品でもできます」と言っていた頃より、得意領域を絞って提案することで見積もり依頼が増えました。
 もう一つの収穫は、社長との議論が増えたこと。「いくらで取るのか」「今のキャパで本当に取れるのか」を踏み込んで話すようになり、経営者としての意識が芽生えてきた実感があります。

─これから事業承継に臨む方に一言を。

山本氏 行政の支援というと、以前は堅くて現場を知らない人たちというイメージがありました。でも、この2年で180度変わりました。「自分にはまだ早い」と思っている人ほど、一度受けてみてほしい。自分の言葉で会社を語ったからこそ、先輩経営者からのフィードバックも返ってくる。よい機会になったと感じています。

(かながわ経済新聞 令和8年7月号 第24回かわさき発・事業承継秘話『未来へのバトン』より)

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川崎市経済労働局経営支援部経営支援課事業承継担当

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