二子神社(岡本かの子文学碑)

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2016年8月8日

岡本かの子文学碑“誇り”

岡本かの子文学碑“誇り”

住所

高津区二子1-4-1

交通案内

東急田園都市線「二子新地駅」下車、徒歩3分

地図

解説

 多摩川の二子(ふたご)橋にほど近く、二子神社があります。もと神明社と称し、創建は寛永18年(1641)といわれ、旧二子村の村社でした。
 境内には、揺らぐ炎のような、〈夢幻の白鳥〉が浮かぶような白いモダンアートの記念碑があります。「誇り」と名づける、この岡本かの子の文学碑は、川崎をはじめ全国の愛慕者によって昭和37年(1962)11月建てられたもので、彫刻の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」という制作者で長男の岡本太郎の銘が刻まれ、その横に「としとしにわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり」という歌が、かの子の筆跡から拾字されて御影石に刻まれています。これはかの子の代表作「老妓抄(ろうぎしょう)」に女主人公の歌として小説の末尾に掲げられたもので、晩年の自身の心境をそのままに歌ったものといえます。また、かの子の業績を讃える亀井勝一郎(かめいかついちろう)の文を川端康成(かわばたやすなり)の書によって刻んだ碑もあり、まれにみる豪華な文学碑を形造っています。
 岡本かの子は明治22年(1889)3月1日、旧二子村(現・高津区二子)の旧家大貫(おおぬき)家の別邸(東京市赤坂青山南町、現・港区)に生まれ、本名はカノ、幼時を二子で育ち、次兄雪之助(晶川)の影響で文学に親しみ、跡見女学校入学後、与謝野晶子(よさのあきこ)に師事「明星」「スバル」などに短歌を発表しました。画学生・岡本一平と結婚し、歌人・仏教研究家として活躍しましたが、足かけ4年におよぶ欧米滞在から帰国後、一平の献身的な協力と川端康成の指導を得て多年念願の小説制作に移り、出世作「鶴は病みき」を発表してから3年ほどの間に、生命力をひたすら純文学に傾けて、驚くべき量と質の作品を発表しました。代表作に「母子叙情(ぼしじょじょう)」「老妓抄」「河明(かわあか)り」「生々流転(しょうじょうるてん)」「女体開顕(にょたいかいけん)」などがあります。昭和14年(1939)2月18日49歳で死去。多磨墓地に埋葬されました。なお、夫の一平(1886~1948)、長男の太郎(1911~1996)はともに芸術家として活躍しました。

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