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梶ヶ谷神明社上遺跡

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住居跡内の遺物出土状態

地図

解説

 田園都市線梶が谷駅の南方約1.5kmに梶ヶ谷小学校があります。この学校のすぐ西側、一段高くなった台地上に梶ヶ谷神明社上(かじがやしんめいしゃうえ)遺跡が存在します。
 この遺跡は、昭和42年(1967)に畑の天地返し中に発見され、緊急調査がされました。その結果、弥生時代中期(約2000年前)の住居跡が一軒発掘されました。この住居跡は、東側を天地返しで、南側は畑の段差で削られ、全体のほぼ2分の1が残っているにすぎませんでしたが、残った住居部分(3.5m×4.5m)から推定すると方形をした大形住居であったろうと思われます。また、この住居跡の床からは壺形土器11個、甕(かめ)形土器6個、埦(わん)形土器1個の計18個もの土器、装身具である管玉(くだたま)3点、中央に光沢をもつ石皿と磨石(すりいし)各1点、鉄斧1点と、多様な道具類が発見されました。このように多くの生活用具が見つかった理由としては、住居跡内に焼土が数ヶ所存在することから、火災にあったためと考えられています。
 これらの遺物の出土位置をみると、住居跡の東北側では大型壺2点を含む壺形土器が6点、さらにその近くの炉(ろ)の周りから煮沸(しゃふつ)用の甕が2点見つかったことから、この周辺が調理を主体とした空間と想定できます。また、北西側の柱の周りからは貯蔵用の広口壺や特殊な小型壺が見つかり、さらにその壁際では石皿と磨石がセットとして見つかりました。そして、そのすぐ南側では鉄斧が刃部を立てたままで見つかっています。したがって、北西側周辺は作業的な空間としての役割が想定できます。このように多様な生活用具がセットとして、また、きまった空間から発見されたことは、当時の生活を知るうえで貴重な資料ともなっています。
 なお、これらの遺物のうち鉄斧は当時としては非常に貴重なものであり、この住居に居住していた人々は周辺ではかなりの権力を持っていたことが考えられます。