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光明寺

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2010年12月20日

コンテンツ番号66

絹本着色親鸞聖人像

絹本着色親鸞聖人像

住所

高津区二子1-10-10

交通案内

東急田園都市線「二子新地駅」下車、徒歩6分

地図

解説

 浄土真宗光明寺の開基は、甲斐武田氏の家臣小山田宗光で、武田氏滅亡後の慶長6(1601)年に出家して宗専を名のり、二子塚のある字(あざ)「本村」に当寺を興しました。当時、二子村には七軒百姓と称する農民が二子塚のあたりに住んでおり、塚(古墳)のうち1基は寺持ち、1基は村民持ちでした。

 寛永18(1641)年、光明寺は、七軒百姓とともに矢倉沢往還に面する字(あざ)「居村」の現在地へ移りました。これは幕府による矢倉沢往還の継立制の確立に伴う措置と考えられます。

 さて、浄土真宗寺院は本山である京都・本願寺から拝領する五尊を礼拝の対象として安置します。このうち本尊は、来迎印(らいごういん)を結ぶ阿弥陀立像の木仏で、他は4幅の画像です。浄土信仰の隆盛に伴って造立された阿弥陀彫像の場合は、観音勢至の脇侍を従えることが多いのですが、浄土真宗では宮殿(くうでん)内に弥陀1尊のみを奉安します。

 光明寺には、寛永18年に拝領した木仏本尊、寛文12(1672)年に拝領した絹本着色聖徳太子像と絹本着色浄土七高祖連座像、宝永2(1705)年に拝領した絹本着色親鸞聖人像、明治38(1905)年に拝領した厳如上人画像が伝世しており、このうち親鸞聖人像、聖徳太子像、浄土七高祖連座像の3幅が市重要歴史記念物に指定されています。これらの仏画は拝領時の関係文書を伴い、京都のアトリエで制作された正統的な近世仏画として貴重です。

 また、宝暦12(1762)年4月に鋳造(ちゅうぞう)され、惜しくも第2次大戦で供出された梵鐘(ぼんしょう)は、江戸時代末期から明治にかけて、矢倉沢往還で継立を負担する農民たちに正確な時刻を知らせるため、「時の鐘」として使用され、人々に親しまれておりました。なお、現本堂は、浄土真宗地方本堂の様式をとどめ、街中の寺院ながら落着いた佇まいをみせております。

所有指定文化財

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