妙法寺
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板碑(建長7年銘)
住所
高津区久末375
交通案内
JR「武蔵新城駅」から川崎市バス・東急バス鷺02系統「鷺沼駅」行き、「妙法寺下」下車、徒歩約5分
地図
解説
妙法寺は天台宗で、開基は不詳とされています。
本堂内には、昭和51(1976)年の春に山門前から出土した板碑(いたび)が安置されています。
板碑とは、お彼岸やお盆・法事などの時に建てる木製の塔婆(とうば)の前身にあたるもので、五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などと同じ中世石造物の一種です。一般に鎌倉時代の板碑は、有力武士や御家人(ごけにん)層による造立が多いとされています。しかし、それにもかかわらず、その時期の板碑に見られる銘文は、肉親の供養などを目的とする私的関係を表す内容のものが多く、中世社会を象徴するような、封建的主従関係を表現した板碑が少ないことがしばしば疑問とされていました。
ところが近年、封建的主従関係を端的に物語る「主君」銘のある板碑が東国地方に数基あることが知られてきており、中世社会の実態の一端をうかがう一史料として興味深い事例と言えます。
「主君」銘板碑の具体例として、現在市内最古とされる建長7(1255)年銘の板碑があります。この板碑は、上下を欠損しており完碑とはいえませんが、県下では大型品に属するものです。碑の表面には、「主君聖霊」文字がくっきりと刻まれています。
『新編武蔵風土記稿』都筑郡山田村三宝寺の条によると、この「主君」というのは鎌倉幕府の初期に活躍した相模武士、鎌田兵衛正清という人物のことで、建長7年はちょうど兵衛の百回忌の年に当たります。「主君聖霊」とあるのですから、この碑は家臣の者によって建てられたものでしょう。主君の死後、100年もの後に主君の霊の安らかな往生(おうじょう)を願っているのですから、きずなの強さに驚かされます。中世武士の精神史の一端をうかがうこの重要な板碑は、昭和63(1988)年に市重要歴史記念物に指定されました。
所有指定文化財
コンテンツ番号64