シッシー君の文化財探訪日記 2026年8月 「池の主」と池の谷
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川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。
【シッシーくん】
市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。
皆さんこんにちは、シッシーです!
夏も本番!プールで泳ぐのが楽しみな季節になりました。今回は池の話題をお届けするッシー。
宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』昭和8年度(1933年度)
今回も、かわさき民話を愛する会が翻刻してくださった、宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』に収録されていた昔話を紹介します。
むかし話「池の主」
竹薮(たけやぶ)のわきの草ぶき家の庭に、籾(もみ)が乾かしてあります。家の中では、障子(しょうじ)を開け放しにして老婆と子供が何かしきりに話をしています。
昨夜、雨が降ったせいか、空がきれいに澄んで誠によいお天気。向こうの丘の林が黄に赤に飾られて、それが暖かい日の光を受けて錦(にしき)のように美しい。裏の井戸端の柿の木は、葉が紅(くれない)に彩られて青空に浮いているのは、まるで絵のようです。前の広い田んぼには、稲の穂先が重そうに垂れて、そよ吹く風に黄金の波をただよわせています。
百姓は、あちこちで稲刈りや稲こきをやっています。孫は十位の女の子で、しきりに雀を追いながら、大きな古ぼけた老眼鏡をかけて、縫物(ぬいもの)をしているお婆さんの話に耳を傾けています。
「お婆さん、もっと面白いお話をしてくんなよ。」
「ええ、お前の言うことだ、どんなお話でもしてやるべえよ。どんな話がいいかね。」
お婆さんは眼を細くして、笑いながら孫を見やった。
「おらあ、どんな話でも面白くさえありゃいいんだ。」
「そうか、じゃ、あれにすべえかね。お前、この少し先の池の谷戸の話、知ってねえだんべえ。そりゃ、不思議な話があるんだよ。」
お婆さんはこう言って、次のような話をしました。
× × × × × × ×
昔、梶ケ谷のあの池の谷戸には池がありました。それはそれは大きな池で、こちらの岸から向こうの岸は、はっきり見えない程の広さでありました。
ところが、この池には池の主だという大蛇が棲んでいるという事で、誰も一人ではこの池の端へ近寄る者はありませんでした。
この池の下には、一軒の家がありましたが、ある晩、そこの家のお婆さんが一人で留守番をしていると、軒の下でかすかな人のいびきが聞こえます。
「はて、おかしいな。今頃、こんな人里離れた所へ来る者はない筈(はず)だが、それにしてもあれは確かに人の寝いびきらしいが。」と、そのお婆さんは自分の耳を疑いながら、首をかしげてじっと聞き入りました。
夜は風一つない静けさで、木の葉のすれ合う音さえありません。
「スウ、スウ。」、確かに人のいびきです。
「はて、まあ、この夜更けに誰だろう。」
なおもじっと耳をすまして聞いていましたが、何だか気味悪いので、立って戸を開ける気にもなれません。いろいろ考えている中に、だんだん怖くなってきました。怖くなるにつれて、そのいびきが変になって、どうも人間らしくないような気かしてきました。
グルグル、ゴロゴロ、・・・ ・・・ ・・・ ・・・
お婆さんは、いつまでもこうしていても仕方がないと思って、おののく足を踏みしめ、やっと元気を出して恐る恐る座敷の戸を細目(ほそめ)に開けて、いびきのする方を見やりました。
すると、まあ驚くじゃありませんか。そこには、水もしたたるような、それはそれは美しい女が寝ています。朧(おぼろ)月夜ではありましたが、その姿がはっきりと眼に映(うつ)りました。
身の丈ほどの長い髪毛(かみげ)を振りほどき、顔はむしろ青い程すきとおっています。首筋は雪のように真白で、その姿は天女(てんにょ)のようでした。
お婆さんは、今までこんな美しい女を見たことかありませんでした。全く我を忘れてその女の寝姿に見とれていると、まあ、不思議ではありませんか、その女がむくむくと起き上がり、
「この事を誰にでも話したら、承知しないぞ。」と言ったかと思うと、忽(たちま)ち雲をつくような大蛇の姿となり、耳まで裂けた大口から焔(ほのお)を吐(は)き、眼からは稲妻(いなずま)のような光を放ち、鱗(うろこ)を銀のように光らせながら風を呼び、凄い唸(うな)り声を出しながら渦巻く池の中へ踊り入りました。お婆さんは、腰とあごを抜かしながら座敷へひっくり返りました。
× × × × × × ×
「お婆さん、おらあ怖いよ、そんな話。」
「そうかね、だが、まあお聞き。ちっとも怖かあないんだから。」
お婆さんは、また語り統けました。
× × × × × × ×
ところが、それから数日経って、村の腕白(わんぱく)な子供達が大勢してその池の縁を通っていると、そこに一匹の小さな蛇が寝ていました。いたずら盛りの子供達なので、
「やあ、この野郎。ぶんなぐれ。」と、わいわい言いながら、石ころや棒きれでさんざんにその小蛇をぶんなぐりました。そして、それを池の中に投げ込みました。
すると、その小さな蛇は忽(たちま)ち向こうの岸へ届く程の大きなおろちに変わり、白い腹を横たえて浮かび、とうとう死んでしまいました。
村の人々は、後のたたりを恐れ、小さな祠(ほこら)を建てて、その主をまつりました。そのためか、その後、何のたたりもなく、村の人々もいつしかこのことを忘れてしまいました。
× × × × × × ×
「ああ、よかった。おらあ、安心したよ。今度は、別な話をしてくんなよ。」
「ああ、でもお茶の支度(したく)をしなくちゃあ、今にお母さんたちが野良(のら)から帰って来るべえから。」
裏の柿の木から、烏が二羽、鳴きながら飛び去りました。
注
このテキストは、かわさき民話を愛する会(萩坂心一会長)が、昭和8年度刊行の『郷土之お話』の内容を正確に記すとともに、現代仮名遣いへの移行をはじめ、今の子どもたちにも読みやすいように「ルビ」や「注」を施したものです。
【本文中の注】
天女=天上界に住むという女。 稲凄=いなびかり。 縁=そば。
おろち=きわめて大きな蛇。 野良=田畑等の仕事。
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- かわさき民話を愛する会外部リンク
かわさき民話を愛する会のホームページへ遷移します。 活動報告のページから、「水天とむじなの本尊」「ふたつの本尊」(萩坂昇作)を確認することができます。
「池の主」の舞台を訪ねて…池の谷の由来の碑
池の主の舞台となったのは、現在の高津区末長1丁目、東急田園都市線の梶が谷駅の近くです。このあたりは、多摩丘陵に連なる下末吉台地は、樹枝のように谷戸(やと)が入りこむ地形で、人々は谷戸の湧水やため池に頼って生活してきました。
梶が谷駅から谷戸に下った先に、以前はため池があり、末長地区の人々は、農業用水、生活用水として利用したほか、池の周辺に生える茅(かや)を茅葺屋根の材料に使われるなど、末長地区の人々の生活と密接に関わっていました。
現在、池があったあたりに「池の谷の由来の碑」が建てられているっシー。
人々の生活と池の関わりを教えてくれる碑文を読んでみましょう。
碑文の書き起こしは土方惠治『かわさき記念碑学習ー続ー』(昭和52年)から引用しています。
「池の谷」の由来
池の谷は、末長部落の上手にあたり、小字姿見台の中央を南北に位置する谷間で、谷の下手に池があり、池の史誌は詳らかでないが池の谷と称していた。東側の斜面には、杉・檜の樹林が茂り池の周囲の低地には茅が密生し、遠い昔より池に湛えられた水は末長部落中央をせせらぎの如く流れ、野菜の洗場に、防火用水に、大きくは灌漑用水として広汎な水田を潤し、農業生活には欠くことのできない貴重な水源であった。また低地に生い茂る茅は茅葺屋根材として重要な資源であった。池の面積は約8300平方米で旧橘村時代は村有地であったが、昔から末長住民により維持されてきた。昭和12年6月橘村が川崎市に合併の際当時の農家80戸の共有地として橘村より払下げを受け管理されていた。昭和38年田園都市線の延長計画により共有地の中心が路線に入り東急より譲渡の交渉を受け共有権者の協議により共有地処理委員会を設置爾来三ヶ年共有権者との協議、東急との交渉を重ね、駅の設置を条件に昭和41年共有地譲渡の交渉が成立し、今日の梶ケ谷駅を中心とする景観を提するに至った。譲渡による土地代金の使途については、共有権者の協議により末長地内の幹線及び各支線の道路改修事業に当てられ地域福祉に大いに役立つことができた。幾百年の昔より末長の土に浸込んだ池の恩恵は未だに人々の心に残る郷愁を碑に記し地誌とする。碑建立にあたり東急の格別なるご配慮を謝す。
昭和51年11月吉日
末長共有地処理委員会
お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
電話: 044-200-3305
ファクス: 044-200-3756
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