シッシー君の文化財探訪日記 2025年10月 権六谷戸を訪ねました
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川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。
【シッシーくん】
市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。
皆さんこんにちは、シッシーです!
いつの間にか日が短くなって、市役所前の道では銀杏が落ちていたり、秋らしさをたくさん見つけられるようになってきました。
秋のお散歩に権六谷戸を訪ねてきました。
むかし話の景観を訪ねて
宮前区野川は、そのほぼ中央を西から東へ流れる矢上川によって、二つに丘陵に分けられ、北側の台地上には、影向寺や野川神明社、西蔵寺などがあります。
矢上川の南岸には、平台、野川台、十三坊台などと呼ばれる台地と、その間に小さく開かれたいくつかの谷戸が連なっています。
これらの谷戸には、それぞれ、天神谷戸、池の谷戸、権六谷戸などと名付けられ、近世以前は丘陵の間の狭い谷戸に湧き水や小さな川を利用して開かれた小規模な耕作地を中心とした農村だったと考えられます。

野川の旧家では、いずれも丘陵の緩斜面に南向きに屋敷を構えていましたが、そのような旧家の裏山からは板碑が多く発見されています。
野川小学校の南に、権六坂と標識のある坂道があり、このあたりは古くから「権六谷戸」と呼ばれています。
この権六谷戸、当地の旧家の祖先が住み着いた後に、権六を名乗ったことが、その地名の由来となったといわれています。

権六谷戸でも、古くは康応2(1390)年〔南北朝~室町時代〕、多くは15世紀後半の板碑が数多く発見されていることから、権六谷戸の旧家の祖先は中世も早い段階にこの地に土着したものと考えられます。
いま、権六谷戸を訪ねると、ちいさな石造物の祠などが残っているものの、新しい家々が谷戸の奥まで立ち並び、中世の農村の面影をうかがうことは難しいですが、権六にまつわるむかし話が残っています。
さまざまなかたちの民話
ご興味のある方は、かわさきの民話を愛する会のホームページで読み比べることができますので、ご参照ください。
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- かわさき民話を愛する会外部リンク
かわさき民話を愛する会のホームページへ遷移します。 活動報告のページから、「もろこし畑の戦い」を確認することができます。
宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』昭和8年度(1933年度)
むかし話「もろこし畑の戦い」
宮前村野川(のがわ)に、権六谷戸(ごんろくやと)という小さな部落(ぶらく)があります。東の方だけを残して、コの字形に三方(さんぽう)山に囲まれた小さな部落です。西の方へぐっと入り込んだ細長い谷戸田(やとだ)を挟(はさ)んで、両側の山の麓(ふもと)のあちこちに十五、六軒の農家が絵のようにたっています。
もう秋も近いある夏の日の午後でした。南の山の麓のお爺(じい)さんは、北の山の草刈りに余念(よねん)がありませんでした。そこへ、一人の男の子が、右手には薬缶(やかん)をさげ、左の手には何か新聞紙に包んだものを持ってやって来ました。
「お爺さん、お爺さん、お荼うけだよ。そりゃ、いいもの・・・。」
男の子は右手の薬缶を下に置いて、さも大切そうに、そして得意気(とくいげ)にその包紙(つつみがみ)を両手でしっかりと抱きしめました。
「ほう、なんだろうなあ、いいものって。」
お爺さんは仕事をやめて、山の根に腰(こし)をおろして言いました。
「そりゃいいもの、当ててみな。」
「待てよ、おいもかな。」
「ううむ。」
「餅(もち)かな。」
「ちがう。」
「なんだろうな。」
「とうもろこしだよ。ほうら。」
男の子は、得意満面(とくいまんめん)として、目を円(まる)くしながら、樺(かば)色に焼けた大きなおいしそうなとうもろこしを四本出して見せました。
「ほう、そりゃいいもんじゃな。どこから貰(もら)ったんだい。」
「橋本のおばさんから。」
「えらいもの貰ったなあ。」
「まだ家にうんとあるよ。お爺さんにこれ二本あげらあ。」
と、男の子は同じ大きさのを二本お爺さんにやると、懐(ふところ)から茶飲み茶碗(わん)を出してお茶をつぎました。
「お爺さん、家じゃなぜとうもろこしを作らないのよ。しげちゃんとこでも、光ちゃんとこでも作らないんだねえ。」
男の子は、もう、とうもろこしを丸ごとかじながら、お爺さんにそう聞きました。
「うん、とうもろこしを作らないわけかい。」
「ああ、なぜなの。」
「それには、わけがあるんだよ。」
「どんなわけがあるの、お爺さん。話してよ。」
そこで、お爺さんはとうもろこしを作らないわけを話して聞かせなければなりませんでした。
「じゃ、話してやろう。それはずっと昔、お爺さんの又(また)お爺さんの、その又お爺さんの時のことなんだよ・・・。」
とお爺さんは、お茶を飲みながら話し始めました。
× × × × × ×
その頃は、鎧(よろい)冑(かぶと)の武士があちらこちらで戦争ばかりしていました。
ある日のこと、もう日が暮れる頃になって、二十人ばかりの武士がヘトヘトに疲れてこの谷戸にやって来ました。
この武士は、藤原氏の後裔(こうえい)の一族でした。十日ほど前にはたくさんの家来(けらい)がいたのですが、箱根の方の戦で皆討(う)ち死にしてしまったのです。
体は綿(わた)のように疲れてしまって、残った一族はもう戦う気力はありませんでした。これ以上戦っていれば、皆討ち死にしなければなりません。今はもう、何とかして逃(のが)れるよりほかに道がありませんでした。
一族の者は夜(よ)に日(ひ)を次(つ)いで、東の方へと逃れて来たのです。矢や刀の為に深い傷を負(お)うた者などは、皆途中で斃(たお)れてしまうのでした。やっとこの谷戸まで来た者は二十人きりになってしまったのです。
そして、誰もこれ以上に歩くことすらできないほどに疲れてしまいました。誰一人として、体に矢や刀の傷を受けていない者はありませんでした。一族の者は、とにかく元気の回復するまで、この谷戸に逗留(とうりゅう)することになりました。
ただ一軒の家もないさびしい谷戸でした。中程(なかほど)はじめじめとした地で、周(まわ)りは一面に熊笹(くまざさ)や篠(しの)竹や楢(なら)や櫟(くぬぎ)が茂っていました。そして、あちこちには大きな赤松や杉が幾本(いくほん)もありました。時折(ときおり)、山鳥(やまどり)が空を渡るほか何も通りませんでした。
傷の浅かった武土はどんどん元気が回復してきました。すっかり元気づいた者は、木を切ってきて、掘っ立て小屋を作りました。そして、重病者の看護(かんご)をしたり、鎧冑弓矢の繕(つくろ)いをしたり、村里(むらざと)に食物を求めに出かけたりしました。深い傷を負うた者も日一日と回復して、やがて皆すっかり元気がつきました。
ある日のことでした。一族の頭(かしら)の藤原某(なにがし)が皆の者に言いました。
「どうだ皆の者、もうすっかり元気がついたか。」
すると、みんな逞(たくま)しい腕をさすって見せながら、
「この通り、もういつ戦争が始まっても金輪際(こんりんざい)ぬかり申さぬ。武器の手入れも充分(じゅうぶん)にできてござります。」
と答えました。
「では、また引き返すか。」
「言うまでもない事でございます。」
一同は元気に答えました。頭はにっこりと笑いながら、
「うん、それだけの勇気があれば、もう恐るるところはない。だが、皆の者、よう聞け。我ら、これから矛(ほこ)をひるがえしてかえり打ちすることは何の雑作(ぞうさ)もないことだ。だが、考えてみい。追わざる敵に矛を向けるもつまらぬ事だ。どうせ味方はこれだけ、いくら強くとも火に入(い)る虫も同然。勿論(もちろん)、死は覚悟の前である。武士の意地もある。味方を殺された怨(うら)みもある。だが、それも売られた喧嘩(けんか)を買いそこねただけの話。今喧嘩を売り返して、あたら命を捨(す)てるのは犬死(いぬじ)にというもの、いつか怨(うら)みを晴らす機会もあるだろう。どうぞ、皆の者、いつ何時(なんどき)なりとも敵を相手にするだけの覚悟をもって、俺の言うことを聞いて、ここにとどまる考えはないか。」
と申しました。ですが、誰もすぐには何とも答えませんでした。
「どうだ、皆の者。」
と、頭はもう一度皆の返事を促(うなが)しました。もう、誰もそれに異議(いぎ)を申し立てる者はありませんでした。武士どもは、
「かしこまってござります。」
と、答えるほかありませんでした。その時の武士どもの心は、実に切(せつ)ないものでありました。
「もう一度、引き返してやってしまおう。」と燃え盛(さか)っていた心を、一所懸命(いっしょけんめい)抑(おさ)えたのでした。
そこで、一族はこの谷戸にとどまることになりました。頭の藤原某は、この地に安(やす)く斉(ととの)うという意味で、藤原の姓(せい)を安斉(あんざい)と改め、権六(ごんろく)と名のりました。
それから、半年ばかり経(た)ちました。武士の名によって山が開墾(かいこん)され、栗(くり)が実り、とうもろこしが茂りました。毎日、みんな一所懸命で働きました。その後、平和な穏(おだ)やかな日が毎日続きました。
ところが、ある日のことでした。
みんなが山や畑に出てしまって、権六一人が小屋の軒(のき)の下で刀を磨(みが)いていました。すると、すぐ側(そば)の戸板(といた)にプッーンと大きな音がしました。とうとう、大変な事がやってきたのです。
見れば、それはどこから飛んで来たのか、一本の矢が突(つ)き刺(さ)さっていました。それに続いて、今一本、ピュッーと唸(うな)って小屋の上を飛んで行きました。
権六は腰の笛を取ると、ピーと吹き鳴らしました。敵が来た時は、一番先に見つけた者が相図(あいず)の笛を吹き鳴らすことに決めてあったのです。
パラパラッと眼(ま)ばたきする間に、皆集まってしまいました。そして、恐ろしく早い勢いで鎧冑を身に付け、かねて用意をしておいた沢山(たくさん)の矢を、天井(てんじょう)から下ろしました。
敵の矢は、忽(たちま)ちピュウピュウと物凄(ものすご)い唸(うな)りを立てて雨のように飛んで来ました。そのうち、向こうの櫟(くぬぎ)山の上から百余りの軍勢(ぐんぜい)が、まるで雪なだれのように小屋をめがけて押し寄せて来ました。味方は小勢でしたが、二十人の者の勇気は大変なものでした。権六が、
「それっ、ぬかるな。」
と下知(げち)をするが早いか、一同はもう弓矢は捨て、脇差(わきざし)を振りかぶって、
「時こそ来たれ。」
と、どっと一どきに小屋からおどり出ました。敵味方入り乱れて、物凄い切り合いが始まりました。眠気(ねむけ)のさすほど穏(おだ)やかであったこの山里は、恐ろしい乱闘の巷(ちまた)と化(か)してしまったのです。
「エイッ、エイッ」という気合(きあい)が谷戸中に轟(とどろ)きました。餌(えさ)を拾(ひろ)いに来た雀(すずめ)どもは、驚いて飛び立ちました。風が巻き起こされて、高く生い茂っているとうもろこしの葉がザワザワと鳴りました。
見る間に、七・八十人の者がバタバタと血をふいて斃れました。敵も味方も、だんだん少なくなってきました。
向こうの方では、たった一人の者が五人の敵を相手にして戦っています。こちらの方では、二人と七人で戦っています。・・・しまいには、遂(つい)に権六一人と敵三人になってしまいました。
権六は必死になって戦いました。血みどろになってとうもろこし畑に斃れている味方の死骸(しがい)を見ると、権六は益々(ますます)気がはやり立ちました。しかし、もう一人で三・四十人も切って捨てた権六は、何といっても疲れてきました。
三人の敵は刀を中段(ちゅうだん)に構(かま)えて、じりじりと詰(つ)めよって来ます。権六は次第(しだい)に、畑の隅(すみ)に追い詰められてきました。
もうこれまでと、権六は「エイ」と一声(ひとこえ)横に払いました。二人は腰を深く切られて、「アッ」と悲鳴をあげて倒れました。
それにひるんで思わず尻込(しりご)みした一人の肩に、権六はすかさず「エイッ」と切り下ろしました。これもたすきがけに切り下げられて、ばったり倒れてしまいました。・・・権六ただ一人、・・・日はいつか山に隠れて、空には赤い夕映(ゆうば)えが遥々(はるばる)と流れていました。その下を、雁が淋(さび)しそうに啼(な)きながら飛んで行きました。
茫然(ぼうぜん)とその場に立ちつくしていた権六は、もろこし畑に悲惨な最期(さいご)を遂(と)げている味方の死骸に気がつくと、衝(つ)き動かされたようにフラフラと歩き出しました。
そして、味方の十九の死骸を一つ所に並べて、静かにねかせました。権六の眼は涙にぬれていました。やがて、その前にひざまずくと、権六は両手を合わせて頭(こうべ)を垂(た)れました。そして、いつまでもいつまでも口の中で何か唱(とな)えて居りました。
その後、安斉権六は独(ひと)り小屋を繕(つくろ)って、ここに住居を定めたのでした。そして、権六の子孫はだんだん増えて、今では幾軒(いくけん)もの分家(ぶんけ)ができました。
そして、いつの間にか権六の名を取って、この谷戸を呼ぶようになりました。そして子孫は、先祖の怨み深きとうもろこしを作ることは、先祖に申し訳がないという敬虔(けいけん)な心から、今でも決してとうもろこしを作ることをしないという風習(ふうしゅう)が残っています。
× × × × × ×
お爺さんの話はこれで済(す)みました。とうもろこしを食べるのも忘れて、熱心に聞いていた男の子は、話が終わると大きなため息を一つして、
「権六って人は、髄分(ずいぶん)強かったんだなあ。」と言いました。
「ああ、そりゃ強い人だったんだよ。」
「その切り合いっこやったのは、ああ、ここいらだったんだなあ・・・。そして、その人達が作ったとうもろこしが沢山あったんだなあ、面白いなあ。」
と言いながら、男の子はもう一遍(いっぺん)、南の山のあたりを眺(なが)めました。そして、また言いました。
「でも、すてきなことがあったんだなあ。そして、権六って人は、ずっと昔の僕たちのお爺さんだったんだねえ。」
足の遅(おそ)い夏の日も西に傾(かたむ)いて、今は平和な権六谷戸を赤々(あかあか)と照らしていました。
注
このテキストは、かわさき民話を愛する会(萩坂心一会長)が、昭和8年度刊行の『郷土之のお話』の内容を正確に記すとともに、現代仮名遣いへの移行をはじめ、今の子どもたちにも読みやすいように「ルビ」や「注」を施したものです。
【本文中の注】
谷戸=谷間の入りくんだ土地 余念=他の考え 藤原氏=平安時代の貴族
後裔=名籍を伝える何代もの後の人 逗留=末長くとどまる 繕い=修繕すること
某=誰かと名を伏せて使う語 金輪際=断じて 矛=敵を突き刺す武器(短い剣)
雑作=手間や費用 犬死に=無駄死に ぬかり申さぬ=手抜かりしない
軍勢=軍の人数などの勢力 下知=命令 脇差=守り刀 巷=場所
最期=死に際 敬虔=うやまいつつしむ気持ちの深いさま
お問い合わせ先
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