シッシー君の文化財探訪日記 「川崎市市民ミュージアム収蔵資料紹介(下原遺跡縄文時代後・晩期出土品)」
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川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。
【シッシーくん】
市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。
2023年3月3日川崎市市民ミュージアムを訪問しました~収蔵品を紹介します(5)~
こんにちは、シッシーです。今日はひな祭りでひな人形を目にする機会も多いけど、みんなきれいな着物を着ていますね。ボクは毎日同じ服だからあんな着物を着てみたいっシー!
今回も川崎市市民ミュージアムを訪問してきました。休館中の市民ミュージアムでは、考古資料の再整理作業を行っています。
作業の中で学芸員の目にとまった資料を皆さんに紹介するっシー!シッシッシー~。
「川崎の縄文時代の終わり」
皆さん、こんにちは。
教育委員会事務局文化財課学芸員の櫻井です。
今回は、川崎市重要歴史記念物の中から「下原遺跡縄文時代後・晩期出土品」をご紹介したいと思います。
約1万年以上にわたって続いた長い縄文時代ですが、考古学では古い方から草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6つの時期に分けて考えます。川崎市ではいずれの時期の遺跡も確認されていますが、遺跡の数は時期ごとに大きく異なります。6つの時期を通じてもっとも遺跡の数が多いのが中期ですが、後期に入ると徐々に遺跡数は減少し、晩期になるとさらに少なくなります。
今回ご紹介する下原遺跡(しもっぱらいせき)は、川崎市内で唯一、晩期(約3,200~2,400年前)の資料がまとまって出土している遺跡です。遺跡は多摩区長尾にあり、昭和40年から昭和41年にかけて東名高速道路建設に先駆けて調査が行われました。残念ながら現在遺跡は残っていませんが、東名高速道路にかかる喜津根橋のあたりが遺跡のあった場所です。
出土している遺物はバリエーション豊かで、数も膨大です。いくつか特徴的なものをご紹介しましょう。
下原(しもっぱら)遺跡出土 土器
高さ13cmほどの小型の土器で、東北地方の大洞(おおぼら)BC式に特徴的な模様が施されています。この模様は植物のシダの葉のように見えることから羊歯状文(しだじょうもん)とよばれ、彫刻的な手法で丁寧に描かれています。模様の特徴だけでなく、使われている粘土や土器の厚み等の特徴も、他に川崎で出土した同年代の土器とは異なっているため、東北地方の遺跡から運びこまれたものかもしれません。下原遺跡では、地元で伝統的に作られてきた土器以外に、同時期の東北地方の影響を受けた土器も多く出土しています。
また、東関東や中部、東海、関西、北陸地方の特徴を持つ土器も確認されており、当時さまざまな地域と交流が行われていたようです。
現代のような移動手段がない中で、どのように人々が移動し交流していたのかとても興味深いですね。
下原(しもっぱら)遺跡出土 骨角器
動物の骨や角を加工して作った骨角器(こっかくき)です。用途がはっきりわからないものもありますが、アクセサリーや石の鏃(やじり)などを装着するための根挟み(ねばさみ)などではないかと考えられます。
このほか、下原遺跡では、シカやイノシシなどの骨が大量に出土しています。それまでの時期、貝塚などを除けば動物の骨や角が大量に出土することは少なく、当時の生活や文化を知るうえで重要な遺物だといえます。また、それらの骨のほとんどには火を受けた痕跡があります。火を受けた理由は火災の他、火を用いた儀礼が行われていた可能性などが考えられます。
下原(しもっぱら)遺跡出土 土偶と土版
左は土偶の破片です。東北地方の縄文時代晩期によくみられる遮光器土偶をまねて作られました。下原遺跡では、土偶の他、土偶を薄く板状にした土版や石を剣のような形に加工した石剣なども多く出土しています。これらは実用的な道具とは考えにくく、何らかの儀式の際に使われたものでしょう。
いかがでしたか?
縄文時代の終わりのこの時期、川崎市域だけでなく南関東全域で遺跡数がとても少なくなるため、下原遺跡は当時の生活や文化、さらには遠く離れた地域どうしの交流の様子にせまることができるとても貴重な遺跡なのです。
お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
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