シッシー君の文化財探訪日記 2025年1月
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川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。
【シッシーくん】
市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。
こんにちは、シッシーです!
1月はお祭りが多い時期で、ボクもあっちへこっちへと大忙し☆ 市域の文化財について発信できるよう頑張ります!

お正月休み、小沢城跡を探検してきました!
小沢城(小沢天神山城)は、川崎市と稲城市の市境、多摩川の中流域を望む、多摩丘陵から東にのびる支尾根のほぼ先端にあたる小高い丘陵上に位置しています。北側は多摩川の浸食で削られた急な斜面になっていて、ふもとには三沢川が流れています。 詳しい歴史はわかっていませんが、戦国時代には武蔵府中をめぐる戦いの防御拠点として小田原北条氏が利用していました。

南側の多摩自然遊歩道の入り口から、小沢城址緑地保全地区へ登りました。小沢城址里山の会の皆さんが日頃から手入れをしてくださっているので、歩きやすく整備されています。
多摩丘陵の北側に比べて南側は、川で浸食されていないため、緩やかな斜面になっているので、登るのなら、こちら側がおススメだっシー!
小沢城は、『新編武蔵風土記稿』という江戸時代後半に編集された地誌では、小沢小太郎または左衛門の居城とされ、石垣や馬場、井戸が残っていると記録されています。

遊歩道を登っていくと、左右に人工的に整地したような平場がいくつか見えてきます。尾根道に突き当たると、解説板がありました。
小沢城の範囲をどう考えるかは諸説ありますが、もっとも狭く考えた場合、解説板の先にある溝のようなものは、北斜面を下っていき、城の西側を区切る竪堀と考えられるそうです。
尾根道を西に行くと、小沢城址ふれあいの森があり、小沢城の石碑もありますが、今回は尾根道を右へ。
東側は天神山と呼ばれる峰で、物見台として使われた高台です。今は、周りの樹木が大きく育ち、周りはまったく見えないのがザンネン…

尾根道をさらに東へ進むと、古井戸の跡の看板が。これが、『新編武蔵風土記稿』に書かれた古井戸かな?
城に籠ったら、井戸がないと困るけど、こんなところで水を手に入れようとしたら、どれだけ深い井戸が必要なんだろう??
今は、蛇口をひねればすぐに水がでてくるありがたい世の中だけど、昔の人はほんとうに大変だったんだね!
東へ尾根道を進むと、小沢城のもう一つのピーク、浅間山に到着。こちらも、多摩川の渡河点を見晴らす物見台として使われた場所と考えられているッシー!
ボクが探検したときにも、東京スカイツリーが見えていたけど、もっと空気が澄んでいれば、関東平野が全部見渡せそう!
これだけ、広く見渡せるなら、敵がアヤシイ動きを見せたら即対応できるね!!
浅間山の南側に整地されている曲輪(くるわ)は、城内につくられている平場の中でもっとも大きく、城の中心部分と考えられます。東側には横堀(尾根に沿って築かれた堀)があり、東の谷から登ってくる敵への対処がされています。

尾根を東に向かって下っていくと、北側に大きな竪堀が走っていました。この竪堀は、城の北面東側を区画していて、その先には南側から入りこむ谷に沿ったカーブのある尾根道が続いています。このカーブのある道があることで、城へのアプローチが直線的ではなくなり、防御性が上がるのだとか!
昔の人は、自然の地形をなんて上手に利用したんだろうと感動しちゃったッシー!
下草も冬枯れするこの季節は、城跡歩きに最適なので、興味のある方はぜひご自分の眼で確かめながら歩いてみてはいかが?
小沢城については八巻孝夫「小沢城」『川崎市文化財調査集録』第53集が詳しいです。図書館で探してみてね☆

1月12日 長尾神社射的祭(マトー)が行われました
三連休はいかがお過ごしでしたか?連休中日の日曜日、ボクは多摩区長尾の長尾神社で行われた射的祭(マトー)へお邪魔してきました。射的祭りは、年のはじめに、その年の五穀豊穣や無病息災を祈って的を射る予祝行事で、市内にはいくつかの場所で伝えられています。
長尾神社の射的祭は、令和3年度に第4回の地域文化財候補の募集にあたって、長尾の町内会から推薦され決定した地域文化財です。
境内にお邪魔すると、拝殿に向かって的が設えてありました!そして、拝殿前には、筵が敷かれた上に座布団が4つ。長尾神社の射的祭は、座って射るのが特徴なんだっシー!
的との距離は7歩半だって。メートルに直したらどれくらいかなあ?ボクの1歩って測ったことないからわかんないや。
的の裏側には、中央に「鬼」、四隅にも「鬼の」という文字が書いてあります。この文字に当たっていれば、豊作で無病息災の良い年になるそうです!
拝殿での神事のあと、当番地区から選ばれた射手の稚児と介添人は、的の前に座り、弓矢を受け取ります。射手の稚児が1本ずつ介添人に矢を渡し、介添人は座ったまま2本の矢を射ます。二組がそれぞれ2本ずつ射ると矢取人が弓を回収し、再度稚児に弓を渡します。2度場所を入れ替わり、計6本の弓を射て、今年の吉凶を占いました。
矢を射た後は、矢取人がお神酒を運び、祝杯を上げ、儀式が終わりました。
儀式の後は、射手の稚児と介添人、関係者は拝殿で直会(なおらい)を行いますが、直会が終わると、その神饌は一般の参加者にも振舞われます。神饌は、寿和以、芹の胡麻和え、田楽豆腐と決まっているそうで、これらは明治時代に書かれた古文書のとおりに作られるんだって!芹と胡麻がいい香りで、田楽味噌が甘くって美味しかったっシ~!!
実際に矢を射た 介添人さんが、あとで矢が当たった位置を確認されていましたが、見事「鬼」の文字に当たっていたようです。
今年はきっといい年になるっシ~!!
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- 長尾神社(長尾神社射的祭)
長尾神社でおこわなわれる射的祭の詳しい解説はこちらからどうぞ。
お問い合わせ先
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