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シッシー君の文化財探訪日記 「川崎市市民ミュージアム収蔵資料紹介(白井坂埴輪窯跡出土埴輪)」

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シッシー君 自画像

 川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。

 【シッシーくん】
 市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
 性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。

2023年1月26日 川崎市市民ミュージアムを訪問しました~収蔵品を紹介します(2)~

  こんにちは、シッシーです。今日1月26日は「文化財防火デー」だっシー!乾燥しやすいこの時期は、文化財の火災にも注意するっシー!

 今回は、10月19日に引き続き、川崎市市民ミュージアムを訪問してきました。休館中の市民ミュージアムでは、考古資料の再整理作業を行っています。

 作業の中で学芸員の目にとまった資料を皆さんに紹介するっシー!シッシッシー~。

 

「川崎でつくられた埴輪」

皆さん、こんにちは。

教育委員会事務局文化財課学芸員の櫻井です。

今回は川崎でつくられた埴輪のおはなしです。

 古墳の上や周りに並べられた土製の焼き物である埴輪は、埴輪づくりを専門的に行う職人の集まりである「工人集団」によって作られていました。そして埴輪づくりが行われた場所のことを「埴輪製作遺跡」と呼びますが、川崎市では神奈川県内で唯一(註)の埴輪製作遺跡がみつかっています。

 

 遺跡の名前は白井坂埴輪窯跡(しらいざか はにわ かまあと/しらいざか はにわ ようせき)。宮前区の犬蔵、現在犬蔵小学校がある場所のすぐそばにありました。白井坂埴輪窯跡からは、埴輪を焼いた窯の跡とともに、写真のような馬形埴輪や円筒埴輪のほか、埴輪づくりを行っている途中で壊れてしまった埴輪のかけらや粘土のかたまりなどが出土しています。

白井坂埴輪窯跡出土の埴輪

白井坂埴輪窯跡から出土した埴輪の画像

 

 埴輪は、木でできた板状の工具(ハケ)を使って表面を整えるため、「ハケメ」と呼ばれる線が残ります。白井坂埴輪窯跡から出土した埴輪のハケメは、他の埴輪製作遺跡でつくられ市内で出土した埴輪に比べ幅が広いのが特徴です。また、色についても多くの埴輪がオレンジ色に近いのに対し、白井坂のものは白っぽいという特徴があります。
 

埴輪のハケメ

埴輪のハケメの比較写真
 

そして、こうした特徴を持つ埴輪が高津区にある西福寺古墳(さいふくじこふん)からも出土しています。距離にして4kmほど離れた2つの遺跡から出土した埴輪のハケメを入念に観察・比較した結果、同じ工具(ハケ)が使われていたことがわかり、西福寺古墳の埴輪が白井坂埴輪窯跡で作られたものだということが明らかになったのです。

西福寺古墳出土 埴輪

西福寺古墳出土の埴輪の画像

 

 「どこで作られ、どこで使われたのか」ということがわかったことで、西福寺古墳の被葬者が当時治めていた地域の範囲を推測する貴重な手がかりとなりました。それだけでなく、当時どのような技術で埴輪が作られていたのか、どういった工人集団が埴輪づくりに関わっていたのかなど、白井坂埴輪窯跡はさまざまなことを私たちに教えてくれるとても重要な遺跡です。

 さて、西福寺古墳が造られた5世紀後半には地元で作られ地元の古墳で使われた埴輪ですが、6世紀にはいると地元産の埴輪は途絶えてしまい、群馬県や埼玉県で製作された埴輪が古墳に並ぶようになります。いったいなぜ地元で埴輪が作られなくなったのか、そして遠く離れた地方豪族同士が埴輪を介してどのようなつながりを持っていたのか、その謎はこれから解明していかなければなりません。

(註)2023年1月現在。

 

お問い合わせ先

川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課

〒210-0004 川崎市川崎区宮本町6番地

電話: 044-200-3306

ファクス: 044-200-3756

メールアドレス: 88bunka@city.kawasaki.jp

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