シッシー君の文化財探訪日記 「川崎市市民ミュージアム収蔵資料紹介(川崎の近現代考古資料)」
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川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。
【シッシーくん】
市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。
2023年12月22日川崎市市民ミュージアムを訪問しました~収蔵品を紹介します(7)~
こんにちは。シッシーです。今日は冬至ですね。気づけば外が真っ暗になっていることもあるっシー。
寒くなってきたので、ゆず湯に入って元気に冬を越すっシー。
今回も川崎市市民ミュージアムの考古資料の再整理作業を見てきました。
作業の中で学芸員の目にとまった資料を皆さんに紹介するっシー!シッシッシー~。
川崎の近現代考古資料
皆さん、こんにちは。
教育委員会事務局文化財課学芸員の櫻井です。今回は、川崎の近現代を知ることができる考古資料について取り上げたいと思います。
考古学というと大昔のことを研究する学問というイメージを抱く方が多いのではないでしょうか。たしかに資料の数としては原始時代から古代のものが多数を占めるといえます。ですが、考古学はモノから人類の過去を研究する学問であり、取り扱う時代に制限はないのです。
川崎市市民ミュージアムにも明治維新以降の考古資料が所蔵されています。
御幸煉瓦製造所(みゆきれんがせいぞうしょ)
一つ目にご紹介するのは、御幸煉瓦製造所の煉瓦です。
御幸煉瓦製造所は多摩川河畔の戸手にあった煉瓦工場で、いくつかの文献資料の情報から、明治19年に創業し、明治21年には横浜煉化製造会社となり、明治31年に同社が解散した後は再び御幸煉瓦製造所として稼働し、大正12年の関東大震災で煉瓦窯が壊れるまで営業していたことがわかっています。
平成19年に御幸煉瓦製造所創業者のご親族から、自宅敷地内から出土した焼き損じの煉瓦を川崎市市民ミュージアムに寄贈いただいたことで、同製造所で作られていた煉瓦についての詳細がわかってきました。
敷地内からは、写真のように分銅形や放射形の刻印がある、焼き損じ煉瓦が大量に出土しました。これらは焼く過程で歪みが生じ商品にならなかったものを自家用に再利用したものと思われます。
これによって、これらの刻印がある煉瓦の製造元が御幸煉瓦製造所、あるいは横浜煉化製造会社で作られたものであることがわかりました。そして、同様の刻印がある煉瓦は横浜市の旧横浜居留地やキリンビール工場跡などからも出土しており、御幸煉瓦製造所での煉瓦生産が川崎や横浜の工業化の進展を支えていたことがわかってきました。
産業都市として知られる川崎市域の工場建設は明治40年代以降急速に進みますので、明治20年前後から営業していた御幸煉瓦製造所はまさにその先駆け的存在であり、川崎の工業化の過程を解明する上でとても重要な資料だといえます。
溝口西耕地横穴墓群(みぞのくちにしこうちおうけつぼぐん)
構造は一般的な防空壕と異なり規模が大きく、3本の縦坑とそれらを連結する3本の横坑から構成されており、軍に関連する施設だった可能性もあります。
終戦から78年が経過し、当時を知る人が少なくなっていく中で、戦時下の暮らしの様子を垣間見ることができる貴重な資料だといえます。
いかがでしたか?
歴史の研究は時代が新しくなるにつれ、文字資料や絵画、写真、映像、当事者の証言など、歴史を復元するための資料の数も種類も増えていきます。そのため、考古資料の出番はモノしかない時代に比べ相対的に少なくなっていくのですが、歴史的事象のすべてが必ずしも記録に残るわけではありません。今回ご紹介した資料のように、新しい時代であっても考古資料が大事な役割を果たすことがあるのです。
お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
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