シッシー君の文化財探訪日記 2026年9月 民話「お化けのお寺」と「神地(ごうじ)」
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川崎市内の豊かな歴史や魅力を物語る文化財や博物館等の情報を、川崎市文化財キャラクターのシッシーくんがご紹介します。
【シッシーくん】
市域3か所に伝わる獅子舞から生まれた文化財の精。川崎市の文化財保護推進キャラクター。
性格はおっちょこワイルド。好物はかわさき育ちの野菜・果物。口癖は「シッシッシー」。
皆さんこんにちは、シッシーです!
今年の夏もそろそろ終わりですが、子どものころの夏の楽しみ、なんでしたか?ボクは、花火、スイカ…そして「肝だめし」!
民話には、「おばけ」や「狐狸妖怪」が時々出てきますが、今回は、お化け屋敷ならぬ、お化け寺のお話です。
宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』昭和8年度(1933年度)
今回も、かわさき民話を愛する会が翻刻してくださった、宮前尋常高等小學校副読本『郷土之お話・上之巻』に収録されていた昔話を紹介します。
むかし話「お化けのお寺」
源頼朝(みなもとのよりとも)は健康な人でありましたが、後年痔疾(じしつ)に悩まされて困りぬきました。当時の頼朝は、飛ぶ鳥も落とすという程(ほど)の勢いでしたので、全国の名医という名医を招いて治療(ちりょう)しましたが、なかなか癒(い)えませんでした。で、明け暮れ、このことばかりが気になっていました。
すると、ある晩、夢枕(ゆめまくら)に仏様(ほとけさま)が現(あらわ)れ、
「武蔵国(むさしのくに)橘樹(たちばな)郡の平原(へいげん)に、清き流れがある。行きてその水に浸(ひた)りて洗え、病(やまい)忽(たちま)ち治るであろう。」とおっしゃって、お姿が消えました。そこで、頼朝は人を遣(つか)わしてその清き流れを探させましたところ、すぐに見当たりました。
頼朝は、直(ただ)ちに橘樹の里をさして出立(いでた)ちました。程なく、橘樹の平原へ達しました。見ると、成程(なるほど)、坦々(たんたん)たる南武蔵(みなみむさし)に遙(はる)か多摩川を隔(へだ)てて、唯(ただ)一つの清流が豊満(ほうまん)な水を湛(たた)えて緩(ゆる)やかに動いています。
頼朝は、二・三回その流れに身を浸しました。と、不思議や、今までの痔疾がぬぐい去ったように治りました。頼朝は勿論(もちろん)のこと、側近(そっきん)の人々もその奇蹟(きせき)に驚き、且(か)つ感じ合いました。
そこで、頼朝は御仏(みほとけ)に感謝するしるしとして、その川の辺に一草寺をお建てになりました。
× × × × × ×
それから、幾十年か過ぎました。頼朝の建てたお寺は、いつの間にか廃(すた)れ荒(すさ)んでしまいました。屋根は朽(く)ち、軒(のき)は落ち、庭は草薮(やぶ)に変わってしまいました。けれども、誰もその廃寺をかえりみる者もありませんでした。
ところが、いつしかその寺に僧が住んでいることに気がつきました。が、その僧は何処(どこ)から流れて来たのか、どんな人かは誰も知る者はありませんでした。その僧は、一人の小僧(こぞう)と下男(げなん)とを使っていました。
ある日、すぐ近くのお医者のところへ、その下男がやって来ました。
「今日は、実はお寺に病人がありますので、お迎えに参りました。」
「あ、そうですか。じゃ、すぐにお伺(うかが)いします。」
そこで、お医者はすぐにそのお寺へ急ぎました。
「やあ、どうも御苦労様(ごくろうさま)でした。」と、小僧らしいのが言いました。
「どなたですか、御病人は・・・。」と、お医者が聞きました。
「私です。どうも昨晩(さくばん)から熱が出て頭が痛むのです。」
「そうですか、じゃ、一つお脈(みゃく)を診(み)てみましょう。」
お医者はそう言いながら、小僧の手を取って脈を診ました。すると、お医者は驚きました。その脈は、人間の脈の打ち方とは違っていました。
「はて、こりゃ獣(けもの)の脈だが。」と、不思議に思いながら、
「舌(した)を出してみなさい。」と、言いました。小僧の出した舌の長いこと、ペロペロとして、まるで牛の舌のようです。
「これは・・・。」と驚いていると、前の襖(ふすま)ががらりと開いて、僧が出て来ました。
「こりゃ、小僧。貴様(きさま)は何の真似(まね)をしてるんだ。あちらへ行きな。」と、その小僧を叱(しか)りつけて、
「実は病気というのは私でございます。どうか診てください。」と言って、お医者の側(そば)へ座りました。
「あ、さようですか、では、お手を出しなさい。」
その僧の脈を診てみますと、やはりさっきの小僧のと同じです。お医者は体をふるわせながら、
「舌をお出しなさい。」と言いました。
その僧の舌の長くて不気味(ぶきみ)なこと、お医者は肝(きも)を潰(つぶ)して、道具も置き捨てて逃げ出しました。
すると、後から声をかける者があります。振り返って見ると、それはさっきの下男です。お医者はやっと胸を撫(な)で下ろし、
「こ、これこれ。このお寺の、お、・・・和尚も小僧も、に、・・・人間じゃないよ。」と、まだ恐(おそ)ろしさもさめず、口ごもりながら言いました。
すると、その下男は、
「そうですかい・・・。私もその仲間だ・・・。」と言って、長い舌を出しました。さあ、お医者は驚くまいことか、腰(こし)も抜(ぬ)かさんばかりにして家へ逃げ帰りました。
それから、この事が村中響(ひび)きわたりました。そこで、村の人々は神主(かんぬし)を頼んで、その寺の化け物を退治(たいじ)することにしました。
さて、いよいよ今日が吉日(きちじつ)というので、神官(しんかん)は大勢の村人とそのお寺へ参りました。そして、お寺の庭に祭壇(さいだん)を設(もう)けて、悪魔(あくま)退散(たいさん)の祈願(きがん)をしました。
すると、その妖怪(ようかい)の僧たちは忽ち変な獣(けもの)の姿となり、慌(あわ)てふためいて逃げ出しました。村人は、やっと安心しました。
このように、神のお力によってこの地が清められたので、この地を神地(ごうじ)と名づけたということです。ある人が、吉良家(きらけ)の菩提寺(ぼだいじ)を世田谷(せたがや)から移して、その跡(あと)に建てました。今の神地の泉澤寺(せんたくじ)がそれであります。
注
このテキストは、かわさき民話を愛する会(萩坂心一会長)が、昭和8年度刊行の『郷土之お話』の内容を正確に記すとともに、現代仮名遣いへの移行をはじめ、今の子どもたちにも読みやすいように「ルビ」や「注」を施したものです。
【本文中の注】
痔疾=肛門の病気。 癒える=治る。
明け暮れ=いつも、しょっちゅう、明けても暮れても。 遣わす=派遣(はけん)する。 坦々(たんたん)たる=土地や道が平らな状態。 朽ち=腐(くさ)り衰(おとろ)える。
肝を潰す=非常に驚く。 菩提寺=先祖代々のお墓があるお寺。
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- かわさき民話を愛する会外部リンク
かわさき民話を愛する会のホームページへ遷移します。 活動報告のページから、「水天とむじなの本尊」「ふたつの本尊」(萩坂昇作)を確認することができます。
地名「神地(ごうじ)」の由来
「お化けの寺」の舞台となった「神地(ごうじ)」は現在の中原区上小田中6丁目から7丁目のあたりで、この地名は橋や神社、町内会の名前に現在も生きています。『新編武蔵風土記稿』には、上小田中村の「村の東の方を云う」とあります。
その由来について、『川崎地名辞典』では、「泉澤寺関係の文書に『上小田中宝地へ移立』云々とあり、古くは宝地と呼ばれていたことから、稲毛荘の牓示(ぼうじ)に関係する地名が宝地と表記が替わり、さらに神地に転化したか。或いは文字通り神社領域に関係する地名か。」としています。
※牓示とは、荘園の範囲をあきらかにするために、荘園の四方に設置された標識のこと。

「牓示」→「宝地」→「ごうじ」説を裏付ける泉澤寺関係の文書とは、市重要歴史記念物 泉澤寺文書のうち、天文18年9月大吉日付け吉良頼康判物と呼ばれる文書です。
内容は在譽上人と江戸周防守の献策により、上小田中宝地に菩提寺である泉澤寺を再興することにし、吉良家の諸侍や所領内の住民に造営費の一部を拠出するよう命じたものです。

一方で、中原街道が二ケ領用水をまたぐところに架かる「神地橋」については、『新編武蔵風土記稿』に、「耕地橋」とも表記されており、その由来は諸説あるようです。
お化け寺の民話では、草深い荒れた土地を想像してしまいますが、現在は二ケ領用水沿いに桃や桜が植えられ、水と緑に彩られた町に、古い寺社がたたずむ落ち着いたまちだッシ~。小さな秋を探す散策に出てみては?
お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
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