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泉澤寺

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2010年12月20日

コンテンツ番号56

泉澤寺本堂内部

泉澤寺本堂内部

住所

中原区上小田中7-20-5

交通案内

JR・東急線「小杉駅」から川崎市バス、東急バス「溝の口駅」「第三京浜入口」「市民ミュージアム」行き、「小杉十字路」下車、徒歩約2分

地図

解説

 泉澤寺は、現在の世田谷方面に勢力を有した戦国時代の豪族・吉良氏の菩提所として、延徳3(1491)年に多摩郡烏山(現在の世田谷区烏山、諸説あり)に創建された浄土宗の寺院です。5世心参上人の代に諸堂を焼失したため、天文19(1550)年に吉良頼康が現在の上小田中の地に場所を移し再興しました。

 泉澤寺文書(市重要歴史記念物)によれば、再興にあたり吉良氏は、同寺の寺領を安堵し、弥陀三尊を寄進し、さらに門前町を指定して居住者に諸税を免除し、市場の繁栄を図るなどその保護につとめました。

 また、地域の精神的な紐帯(ちゅうたい)として人々の信仰を集めた上丸子山王社(現・日枝神社)へ像高198.5cmという大きな釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)を奉納(現・大楽院蔵)して、武運長久を祈っています。

 寺地のある上小田中は古くから開発され、中世には稲毛荘の中核を成し、市域ではもっとも農業生産力の高い地域の一つでした。

 また、門前を通る中原往還は、戦国時代から近世前期にかけ、江戸と相模方面を結ぶ幹線で、渡河点近くに上述の上丸子山王社があり、近くには近世初頭に小杉御殿や代官陣屋が設けられるなど、多摩川を控えた政治・交通上の要地でもありました。このため徳川幕府も泉澤寺へ朱印20石を与えてこれを保護しています。

 現本堂(市重要歴史記念物)は安永7(1778)年に再建されたもので、正面5間、側面6間、入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺で、内陣部分は小壁(こかべ)、頭貫(かしらぬき)より上に彩画、彩色を施し、荘厳な空間を構成しています。

 また、須弥壇上に安置されている多聞天(たもんてん)、広目天(こうもくてん)、梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしゃくてん)の木造四天立像(市重要歴史記念物)は、京仏師により造られた精緻(せいち)で本格的な仏像彫刻です。台座の銘文により、将軍綱吉供養のため造立されたことがわかっています。

所有指定文化財

所有川崎市地域文化財

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