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新城神社(囃子曲持)

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  • 更新日:
新城神社(囃子曲持)

住所

中原区新城中町4-14

交通案内

JR南武線「武蔵新城駅」下車、徒歩約10分

地図

解説

 新城(しんじょう)の囃子曲持(はやしきょくもち)は、力持ち曲芸(曲持)と祭り囃子が一緒になった芸能で、毎年10月の第1日曜日、新城神社の祭礼の日に演じられています。この日、軽快なお囃子の曲にのって米俵や酒樽を自在に操る力士たちの妙技に拍手喝采(かっさい)が送られます。

 日本各地には古くから、神の依り代(よりしろ)としての重い石を持ち上げて力技を競い、一年の豊凶を占う行事がありました。そのような力比べが娯楽として普及し、江戸時代の後期頃に曲持という芸能として定着したようです。川崎市内では、曲持は新城にしか残っていませんが、幸区南加瀬で明治末まで、川崎区大師河原と中原区井田で昭和初年頃まで伝承されていたことがわかっています。また、市内各地の神社の境内に大きな力石(ちからいし)が祀(まつ)られているのを見ることもできます。

 新城の囃子曲持の始まりは、明治初年頃、新城の力自慢5人が仲間を組んで力持連中を組織してからで、主に上棟式や社寺の落成などに曲芸を披露(ひろう)していました。

 その後、戦争で中断された時期を経て、昭和48(1973)年に囃子連中と組み、囃子曲持として現在のような形で演じるようになりました。新城の囃子は五人囃子で、鎌倉囃子の流れを受けています。曲持の行われている間この囃子が流れ、口上師(こうじょうし)の解説と進行でテンポよく演技がつづけられます。曲持ちに使う祝い俵は三斗三升三合入りで約55kgありますが、力士はこれを高く差し上げ、いろいろな型をとって力持ちを誇示します。さらに、20kgの曲俵を投げて脚立(きゃたつ)や桶(おけ)で受け取る芸や、力士の腹の上に酒樽や臼を乗せて餅をつく芸など、さまざまな力持ち曲芸が演じられるのです。

 新城の囃子曲持は、昭和52(1977)年に神奈川県の民俗芸能50選に選ばれ、さらに昭和53(1978)年には市重要習俗技芸に指定されました。

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