泉澤寺本堂
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泉澤寺本堂 1棟
附
造営文書 2通
建築年代
江戸時代〔安永7年(1778)〕
規模
正面49尺、側面49尺
構造形式
入母屋造・銅板瓦棒葺 正面方1間向拝付
所有者
所在地
中原区上小田中7-20-5
指定
市重要歴史記念物 平成8年(1996)1月25日
解説
泉澤寺は世田谷領主・吉良頼高の菩提所として延徳3年(1491)に多摩郡烏山の地に創建されたが、5世心参の代に堂宇を焼失した。天文19年(1550)、吉良頼康は上小田中の現在の地に泉澤寺を移して再興した。その後、延享2年(1745)に罹災し、一時仮堂を建てたが、安永7年(1778)に今の本堂を上棟した。中原街道に面して南向きに表門を開き、その内中央正面に本堂、向かって右手に庫裏、左手に鐘楼を配している。
本堂は6尺1間として8間四方の規模、もと屋根は寄棟造・茅葺で、正面に唐破風を見せた2間半に2間の向拝を付けていたが、昭和の屋根替で現状に改め、向拝も改修された。平面は前1間通りを廊下、中2間通りを外陣、奥3間通りを内陣と両脇陣とし、内陣背面に下屋を出す。内陣は来迎柱を背面まで後退させて奥行きを深くし、内陣両脇を前後に分けて、前を脇陣、後ろを板敷の脇壇間とする。柱間は6尺1間を基準寸法とし、畳割に合わせて柱間寸法を延ばしている。側廻りは長押、頭貫(木鼻付)をまわし、斗栱に三斗組を上げ、軒は2軒疎垂木である。建具は正面中央間が双折桟唐戸、両脇・端間と両側面は遣戸と明障子の組み合わせであったと推定される。
内部は建登せ丸柱を用い、内法虹梁と大瓶束により部屋境の中柱を省略し、柱間を全て開放する。内陣と外陣中央間は間口24尺で、各正面に4間虹梁を渡して、その上に龍と鳳凰及び獅子を彫った素木の彫刻欄間を嵌める。天井は内陣と両脇各2室を格天井(彩色画)、ほかを竿縁天井とするが、内陣と外陣中央間は出組を詰組に配して天井を高く張り、それに合わせて前廊下中央を化粧屋根裏にしている。内陣は来迎柱を金箔押、小壁と頭貫以上を彩色画により荘厳にする。細部では虹梁の絵様に鳳凰を浮彫りし、また、写実的な花と実のある植物図様を彫るのが注目される。
当本堂は安永7年11月に上棟、翌8年7月に入仏供養が行われたが、内部造作等は遅れて安永9年頃に完成した。内部の柱間を虹梁より広く開放した近世浄土宗本堂の県内における代表作の一つである。
泉澤寺本堂平面図
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