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全龍寺

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石造小林正利坐像

石造 小林正利坐像

住所

中原区下小田中5-3-15

交通案内

JR・東急線「武蔵小杉」駅から、川崎市バス杉10系統「蟹ヶ谷」行き、「全龍寺前」下車すぐ

地図

解説

 下小田中(しもこだなか)にある福聚山全龍寺は、小さな十一面観音菩薩坐像(室町時代作)を本尊とする曹洞宗の寺院で、室町時代後期に開かれた逆翁山常泉寺というお寺が前身と伝えられています。

 本堂の背後にある開山歴住堂ならびに檀徒位牌堂に安置される一体の石造の肖像が目を引きます。この像は、江戸時代を通じて代々下小田中の一部を知行(ちぎょう)していた旗本小林氏の一人、小林正利(1635~1711年)の肖像彫刻で、市の重要歴史記念物に指定されています。

 像は、風折烏帽子(かざおりえぼし)をかぶり、紋付の直垂(ひたたれ)を着す武士の俗体姿で、一石から彫り出されています。全身は彩色され、着衣の6個の「丸に揚羽の蝶、輪違」の家紋には金彩を施すなど、極めて丁寧に仕上げられています。左脇腹に貫通する穴はもと刀が差されていたものと思われますが、残念ながら今は右手の持物とともに失われています。

 また、数カ所に銘文が刻まれていて、この像が正利が世を去る3年前の宝永5(1708)年に造立された74歳の時の寿像(じゅぞう)であろうことや、作者が江戸の石工船戸屋八郎兵衛であることなどがわかります。寿像とは、生存中に造られた像のことで、それだけに生々しい像主の特徴が表現されることが多く、本像も石造という材質的な制約はありますが、正装して坐した誇り高い老旗本の姿をよく表している佳作といえます。

 また、銘文の一つに『武州多麻郡百草村枡井山観音堂開基』と明記されているところから、この像はもとはもう一つの小林氏の知行地であった多摩郡百草(もぐさ)村(現・日野市)の枡井山松蓮寺(現・廃寺)に安置されていたと考えたほうが自然でしょう。全龍寺に移された時期や経緯については明らかではありませんが、百草村が小林氏の知行を離れ幕府直轄地になった正徳4(1714)年頃、もしくは、松蓮寺が廃寺となった明治初年頃に、小林氏ゆかりの下小田中村へ移されたと考えられます。

所有指定文化財

コンテンツ番号45100