春日神社・薬師堂・常楽寺境内及びその周辺
- 公開日:
- 更新日:
年代
古代・中世
指定面積
7,148.45平方メートル
所有者
春日神社・常楽寺ほか
所在地
中原区宮内4-12-2 他
指定
市重要史跡 昭和44年12月4日
解説
宮内は、多摩川下流右岸にあって、南武線武蔵小杉駅の北西約2kmのところに位置している。
現在の宮内地区は、面積約10.3haであるが、そのほとんどがいわゆる自然堤防上に占地している。すなわち、明治12年に陸地測量部が製作した迅速図から、宮内周辺の状況を概観してみると、多摩川の河道は、宮内と下野毛の境から宮内と等々力の境につながる逆U字型となっている。よって宮内村は、この河道によって隣接村と境されていた自然堤防上に位置していたことがわかる。
では、宮内の歴史を見てみよう。
宮内村には、鎮守社として春日神社があり、そこには青銅製の鰐口(県重要文化財)が所蔵されている。鰐口の陰刻銘文には「応永10年(1403)五月」「稲毛木荘春日御宮」等とみえる。これにより春日神社は、中世期、藤原氏の氏神・奈良春日大社の分霊を勧進していたことがわかる。
さらに、古代末期の承安元年(1171)の『稲毛本荘検注目録』には、「平治元年(1159)御検注定」「春日新宮二町」等とあり、平治元年を年代上限とした春日神社の存在を知ることができる。
ところが、宮内にはさらに遡る歴史が秘められている。
そのひとつが、春日神社に隣接する常楽寺に所蔵されてきた1点の勾玉である。これは『新編武蔵風土記稿』の編纂者が実見したといういわくつきのもので、出土地点は春日神社背後の禁足地と目されている。勾玉は硬玉製で、最大長3.6cm、最大幅1.9cm、最大厚1.2cm、最大孔径0.6cmをはかる大形の優品である。こうした古社と禁足地、そして玉類埋蔵とのつながりは、奈良県の石上神社の禁足地から勾玉・管玉等の古代遺物が多量に発掘調査された著名な事例に徴するまでもなく、由縁は深いのである。
また昭和48年には、常楽寺境内で文化財収蔵庫建設のための基礎工事をしていたところ、壺・甕・坏・椀形土器(4~6世紀)が都合6点発見されている。これらの考古資料は、宮内のなかでも春日神社・常楽寺周辺が古代にまで十分に遡りうることを教えてくれている。
さいわいにも春日神社を中心とする付近一帯は、多摩川下流域のなかでも豊かな自然的植生が残されており、史跡として古代からの歴史的舞台に相応しい環境のなかにあるといえよう。
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