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大楽院

  • 公開日:
  • 更新日:

木造 釈迦如来坐像

住所

中原区上丸子八幡町1522

交通案内

東急東横線「新丸子駅」下車、徒歩5分

地図

解説

 大楽院は奈良・長谷寺を本山とする真言宗豊山(ぶざん)派の寺院で、もとは山王社(現・日枝神社)の神宮寺を務めていました。
 現在、本堂の脇壇に祀られている木造釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)(市重要歴史記念物)は高さが2m余りもある大きな作品で、印相(いんそう)(仏の手の形)は瞑想している姿を表す禅定印(ぜんじょういん)を結んでいます。
 像は2材以上の木を前後あるいは左右から組み合わせて根幹部を構成する寄木造(よせぎづくり)で造られ、目には薄く磨かれた水晶に瞳を描いたものを内側から嵌(は)め込む玉眼(ぎょくがん)の技法が用いられています。
 また、胎内の空洞部には長い銘文が墨書されていて、これによると本像が戦国時代に武蔵国世田谷と蒔田(まいた)を領有していた吉良(きら)氏を継ぐ吉良氏朝(1543~1603)とその家臣たちが、一族の「所願成就・皆令満足」を願って長鑑という鎌倉仏師に命じて造立させた像であることがわかります。
 脚部にみられる着衣の複雑な表現や服制などに、鎌倉時代以降に流行した宋元風(そうげんふう)と呼ばれる中国の影響を受けた作風の特色が現れていますが、のびやかさは失われ形式化が目立っています。胎内の銘文には正確な制作年代は記されていませんが、作風からも発願主である吉良氏朝が活躍した室町時代末期頃の造立と思われます。
 戦国時代には武将の念持仏や守護仏のような小型の仏像は比較的多くみられますが、本像のような大型像は珍しく、銘文によってある程度造立の経緯がわかる点でも貴重な存在といえます。

所有指定文化財

コンテンツ番号59