木造 十二神将立像(常楽寺)
- 公開日:
- 更新日:
子神将
丑神将
寅神将
卯神将
辰神将
巳神将
午神将
未神将
申神将
酉神将
戌神将
亥神将
木造 十二神将立像 12軀
附 胎内納入銘札101枚
大きい画像をご覧になりたい方は下記の拡大画像をご覧ください。
拡大画像
年代
室町時代
像高
88.6~99.5cm
所有者
常楽寺(中原区宮内4-12-14)
指定
市重要歴史記念物 昭和49年2月19日指定
解説
十二神将は薬師如来の脊属で、薬師の十二大願を守る護法神として説かれる(『薬師如来本願経』)。藤原時代以降、十二神将は昼夜12時の護法神として十二支と結び付いて、頭上に干支の標識を表した新様の作例が多く見られるようになるが、この場合干支と尊名との結び付きは一定していないようである。その像容は甲冑に身を固めて武器を持った忿怒の天部形で表されるのが一般的だが、平安時代の末期頃から兵庫東山寺像(平安時代)や奈良室生寺像(鎌倉時代)のように中国風の冠を頂いたり、顎髭を長く伸ばして温和な表情をとる像を加える一群も現れる。関東でのこの種の像としては、平塚正福寺像(室町時代)が比較的早い例として紹介されている。
本像は、薬師如来坐像(現釈迦如来坐像)の脊属として造立されたもので、周縁に火焔を配した輪光を背負って岩座上に立つ。十二支の標識を表さない古いスタイルを踏襲しているが、尊名は十二支によって決められている。構造は寄木造で玉眼を嵌入する。バランスよくまとめられ動きもあるが、肩甲下や腹部に獅噛を表さない点や12軀中6軀が下衣に鰭袖を表さないなど、着衣表現は総体におとなしいものとなっている。
14世紀頃の造像と考えられる川崎影向寺像と比較すると、作風的には鎌倉地方様式の流れをくむ点で共通しているが、面貌表現に誇張が目立ち彫技も硬い点から、15世紀に入ってからの作と考えられる。
また現在は別保管となっているが、各像の胎内には101枚という大量の修理銘札が納められていて、天文6年(1537)から昭和5年までの8度にわたる修理の経緯が知れる。特に修理の施主が代々同族によって受け継がれている点は、この地域の常楽寺薬師如来に対する厚い信仰の現れと言えよう。
銘文
子神将
丑神将
寅神将
卯神将
辰神将
巳神将
午神将
未神将
申神将
酉神将
戌神将
亥神将
胎内修理銘札
神将名 | 枚数 |
---|---|
子 | 8 |
丑 | 8 |
寅 | 8 |
卯 | 9 |
辰 | 8 |
巳 | 9 |
午 | 8 |
未 | 10 |
申 | 8 |
酉 | 9 |
戌 | 8 |
亥 | 8 |
計 | 101 |
年号 | 西暦 | 枚数 | 修理物師 | 備考 |
---|---|---|---|---|
天文6年 | 1537 | 10 | 未、亥は未納 | |
天正4年 | 1576 | 12 | ||
寛永13年 | 1636 | 11 | 午は未納 | |
宝永3年 | 1706 | 14 | 横山式部 (江戸) | 未は3枚 |
元文3年 | 1738 | 12 | 竹崎石見 (江戸) | |
文政5年 | 1822 | 16 | 楠運彫 (下沼部村) | 卯、巳、午、酉は各2枚 |
明治30年 | 1897 | 12 | 楠啓次郎 (下沼部村) | |
昭和5年 | 1930 | 12 | 石渡亀山 (六郷村) | |
無記 | 2 | 未、亥 各1枚 |
お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
電話: 044-200-3305
ファクス: 044-200-3756
メールアドレス: 88bunka@city.kawasaki.jp
コンテンツ番号571