御紋むすび伝説とは
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東海道川崎宿 御紋むすび伝説とは
時は江戸時代、8代将軍に就任するため、紀州から江戸に向かっていた徳川吉宗一行が川崎宿に宿泊した際、田中本陣の主である田中休愚が、吉宗一行の食事を賄うため「白米一升を飯に炊き、川崎に持参するものは、2升分(※)の値を取らす」というお触れを近在の農民へ回しました。宿場にはたちまち白米のご飯が集まり、これをおむすびにして行列の人々の空腹を満たすことが出来ました。
吉宗は、この当意即妙の措置にいたく感心し、その後代々の紀州の殿様が川崎宿を通るときには決まってその従者におむすびを出させるようになったといわれています。その際に、三角形に握り、丸い盆に3つずつ並べて、これを徳川家の葵の御紋に見立てたことから「御紋むすび」と呼ばれ、以後300年にわたり川崎宿の名物となりました。このことから川崎宿が三角おむすびの発祥の地と地域で伝えられています。
(※)出展参考:川崎市史(昭和48年川崎市発行)
(※)3升分の説もあります(出展参考:川崎誌考、あまのさへづり)
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