遊べるクラフト かわさきの交通の歴史と臨海部の風景

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2016年3月29日

遊べるクラフト かわさきの交通の歴史と臨海部の風景

かわさきの交通の歴史

かわさきの交通の歴史

臨海部の風景

臨海部の風景

「遊べるクラフト かわさきの交通の歴史と臨海部の風景」

かわさきの交通の歴史

 江戸時代の川崎宿にはじまり、京浜工業地帯や日本の工業化とともに発展してきたかわさき。交通の発達をふりかえってみると、かわさきそのものと同様に、他の都市にくらべて多彩な顔をもっていることに気づきます。
 まずかわさきの交通のさきがけとなったのは、明治5(1872)年、日本初の鉄道である新橋〜横浜間の官営鉄道の開通でした。明治32(1899)年には、東日本初の電気鉄道「大師電気鉄道」が、六郷橋〜川崎大師間に開通しますが、これは川崎大師への参詣客の輸送が目的。同年、「京浜電気鉄道」と改称し、明治38年には、品川~神奈川間に全通。現在の京浜急行の前身にあたり、東京都内と川崎エリアを結ぶ重要な通勤路にもなりました。
 このほか、工業化によって急速に人口がふえ、町のにぎわいや住まいと、 働く場所である臨海部の工業地帯とのアクセスのため、さまざまな交通機関が生まれました。昭和19(1944)年開業した市電は、川崎駅前(さいか屋横)から日本鋼管前を経由して臨海地区をつなぎ、朝夕はたいへんなラッシュだったそうです(1969年に廃止)。昭和26(1951)年には、東日本初の都市トロリーバスが、駅前〜桜本間に開業し(1967年廃止)、市内の公共交通機関として順次路線も延伸されたほか、ボンネットバスなどもあり、市民の足として大変に充実したものでした。現在では、市電やトロリーバスは、その役目を終え、川崎市バスなどに代わりましたが、バスが当時と同じルートを走っている路線もあり、公園などに車両が展示されています。

臨海部の風景

 東海道の宿場町として海沿いを中心に栄えてきたかわさき。臨海部の埋め立ての歴史は古く、江戸時代中期の新田開発にさかのぼります。急激な人口増に悩む大都会=江戸への食糧補給地としての役割が期待されていました。
 この埋立て地に次に注目したのは、浅野総一郎、渋沢栄一ら明治の実業家たち。欧米の列強に並ぶ工業国をめざし、当初は、食品などの軽工業が、後には鉄鋼、機械、船舶などの重工業企業が押し寄せるようになりました。これと同時に、原材料や工業製品を運ぶための港湾機能が必要になり、次第に国際貿易港としての機能をそなえていきました。
 第二次世界大戦と前後して、京浜工業地帯開発がすすめられ、高度成長期の昭和30年代には千鳥町に公共埠頭が建設され、川崎航路が新設されると、大田区、横浜市を含めた京浜工業地帯のかなめとしての役割を担いました。
 埋立て事業は、第二次世界大戦後にはいったん中止したことがありますが、現在に至るまで継続され、現在では、都市の廃棄物を利用した埋め立てが行われています。またハイテク拠点や倉庫などの物流サービス拠点としても注目されています。
 平成2(1990)年に完成した東扇島には、25の公共係船施設のほか、東扇島西公園、東扇島東公園、川崎マリエン(港湾振興会館)、東京湾岸道路など、新しいかわさきの顔として親しまれ、工場夜景など観光スポットとしても注目されています。

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