六郷川鉄橋を渡る汽車と渡し舟
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現存する六郷川鉄橋(部分)/博物館明治村

「六郷川鉄橋を渡る汽車と渡し舟」
江戸時代、宿場町として栄えた川崎は、明治の文明開化の時代に入っても交通の要所でした。
明治5(1872)年、新橋-横浜間に日本初の鉄道が開通したときは、六郷川と呼ばれていた多摩川下流に、木の橋が架けられましたが、明治10(1877)年、日本初の復線用鉄製鉄道橋「六郷川鉄橋」に架け替えられました。
500メートルに及ぶ川幅に架けられた鉄橋には、一部、ワーレントラス桁が採用され、明治45(1912)年まで使用されました。
この時代、橋を渡ったのは鉄道のみで、多摩川を越える人々は「六郷の渡し」(舟)を交通手段としていました。
文明開化の熱気のなか、ザンギリ頭や洋装の人がいる一方、きもの姿も多く、和洋まぜこぜの風俗が流行しました。
日本の近代化をあらわす活気ある光景は、三代 歌川広重の『東京品川海辺蒸気機関車鉄道之真景』など多くの錦絵に描かれました。
※政府が招いたお雇い外国人により設計、施工。六郷川鉄橋は現在も「博物館明治村(愛知県犬山市)に一部保存されています。
また、開業当初の蒸気機関車は客車は英国から輸入していました。150形式(重要文化財/鉄道記念物)は、「鉄道博物館」(さいたま市)に保存されています。
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