ししる(令和8年度)
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ししる(vol.14~)
令和8年度はvol.14~を掲載しています。
これまでのバックナンバーは、こちら(vol.1~vol.4)と、こちら(vol.5~vol.13)からご覧になれます。
「ししる」というタイトルの由来はこちらからご覧になれます。
ししる(特別号)vol.3
ししる特別号は、総集・再編版として1年に2回程度、発行していきます。
本市ホームページにはデジタル版を掲載し、公共施設等には印刷版を配架しています。
ししる(特別号)vol.3
ししる(特別号)vol.3(PDF, 2.10MB)別ウィンドウで開くししる(特別号)vol.3はこちらです。
ししる(特別号)vol.2テキスト版(TXT, 8.04KB)ししる(特別号)vol.2テキスト版はこちらです。
ししる vol.18
わたしの「かわさき歴史百景」を紹介!
令和8年度の制作に関わっていただく取組として「あなたの身近な川崎歴史スポット」と題し、皆さんから「川崎の歴史の本」(書名は『川崎歴史100年』)に掲載する写真を広く募集しています。
そこで今回の「ししる」では、この本を執筆したライターを代表しまして、親子4世代にわたり川崎市民の「私」が、自分なりの「身近な川崎歴史スポット」をご紹介します。
歴史スポット例 その1 【夢見ヶ崎動物公園】

夢見ヶ崎動物公園は、1950年に加瀬山の豊かな緑をいかし「夢見ヶ崎公園」として開設しました。1972年に動物の飼育・展示が開始され、1974年に現在の名称に変更されました。入園無料の親しみやすい動物園として地域に愛されています。公園内では、春は桜、初夏は紫陽花を楽しむことができ、気候が良い時期には家族連れなどがピクニックを楽しみに訪れます。
また、夢見ヶ崎動物公園がある加瀬山の周辺には、いくつもの古墳が確認されています。これらの古墳群は4世紀後半から7世紀後半にかけて築造されたと考えられているそうで、1500年以上前にさかのぼる歴史があることに驚かされます。
「私」も幼少期から家族で何度も遊びに行き、小学校の遠足で訪れ、自分の子どもを連れて遊ばせ……と、とても愛着のある場所です。緑に囲まれた公園で動物たちを眺めると、心がほっと安らぎます。
歴史スポット例 その2【平間公園 児童プール】

JR南武線平間駅から徒歩15分の平間公園内にあり、夏期限定でオープンする屋外プールです。いつ作られたかの正確な情報は見つけられませんが、「私」が生まれた1970年代後半にはあったので、少なくとも45年以上の歴史があると考えられます。施設内には深さ最大1mの大プールと、幼児用の浅いプールが2つあります。昔は大プールに高さ2〜3mほどの放水スタンドがあり、ときどき水がバシャバシャと出ていました。幼児用プールにはすべり台がありました。
こじんまりとした屋外プールですが、平間地区だけでなく、古市場や玉川地区からも親子連れが訪れ、毎年夏ににぎわっています。周辺地域に住む人たちの思い出に刻まれた場所と言えるでしょう。川崎を代表するバンド・SHISHAMOが2016年夏にアーティスト写真撮影を行ったことも話題になりました。
あなたの身近な川崎歴史スポットを教えてください!
以上、2つのスポットを紹介しました。
近代以降の歴史ではありますが、自分の住む町の歴史に触れるとさらに愛着がわきます。
皆さんにとって身近と感じる「川崎歴史スポット」はありますか?
現在、「あなたの身近な川崎歴史スポット」の写真を募集しています! 募集期間は9月4日(金曜日)までです。
お手持ちのスマートフォンやタブレットから、本市の募集ホームページにアクセスしてご応募ください。
入賞作品を 30 点ほど選定し、書籍『川崎歴史 100 年』に掲載するほか、別途抽選で、川崎フロンターレ観戦ペアチケットなどの特典をプレゼント!
ふるってご応募ください。
ししる vol.17
第9回編集懇談会の模様をリポート!
令和8(2026)年4月23日、川崎市総合自治会館で、第9回編集懇談会を開催しました。
今回は『川崎歴史100年』の紙面見本を見て、内容について感想や、意見、アイデアなどをいただきました。
『川崎歴史100年』の紙面見本を見て意見交換

『川崎歴史100年』の制作は、取材と執筆がひと段落し、文章や写真、図版などをデザインに組み入れ、紙面の編集過程に移行したところです。
今回は、委員のみなさんにこの本の9つのテーマのうち、次の4つのの紙面見本を見ていただきました。
- かわさき定点観測-100years-
7区の歴史を「場所ごと」に「写真」で振り返るコンテンツ - いつだって、川崎は【川崎テーマ史】
多摩川、スポーツ、文化、食などのメインテーマ18編ごとに、歴史や文化を深掘りするコンテンツ - かわさきと共に歩んだ ひとびとの物語
人物への取材を通して、背景にある歴史や文化を浮き彫りにするコンテンツ - 地図で感じる 歩きたくなる川崎史
本を持って、まち歩きをしたくなるコンテンツ

- 市内に長年住んでいても読み方に迷う地名がある。初出のものにはルビをふったほうがよいのでは。
- デザインが非常に良い。全体のバランスがよく、色使いや、レイアウトが工夫されていると感じられる。
- たとえば史跡の場所的な紹介だけでなく、そこにまつわる伝説などの背景が示唆されていると興味がそそられるのでは。
- コミュニケーションや体験のきっかけとしてクイズを載せてみるのはどうか。
- 大人が読むには十分に楽しめそうだが、小学生には少し難しい印象のページもある。一部は音声や動画で補う方法もあるのでは。
- 情報量を多くするべきか、内容を絞って文字を大きくするのがよいか悩ましい。
- この本を親子で読んでもらい、コミュニケーションツールに近い役割が果たせると素敵です。
どんなところに興味をひかれるか、もっと面白くするにはどんな工夫ができるか。
委員のみなさんから読者目線で、さまざまなご意見をいただきました。今回いただいたご意見を取り入れて、より分かりやすく、読み応えのある内容にしていきます。
次回の懇談会では、この他のテーマの紙面見本を見て、引き続きご意見をいただきます。
編集懇談会 委員紹介!
ししるvol.7から5回にわたり不定期で、編集懇談会の15名の委員をご紹介します。
委員のみなさんから、川崎の魅力や『川崎歴史100年』(川崎の歴史の本)への思いについてコメントをいただきました。

落合 功さん
川崎市出身、現在も市内在住の落合さんは、中央大学大学院文学研究科博士後期課程を修了し、博士(史学)号を取得。広島修道大学商学部教授を経て、2013年から青山学院大学経済学部で教授をしています。
「川崎は東京にも横浜にもない独自の世界観があるまち。よい意味で『川崎』を強く押し出さない、こだわらない寛容さがあると思います。川崎の魅力を歴史の本で市民のみなさんに届けたい、という私たち委員の思いが実現できたらうれしいです。老若男女問わず、読んだ人の心に一部だけでも刺さるものがあって、川崎の歴史に関心をもつきっかけになったらいいなと思っています」(落合さん)

高田ユリさん
東北地方出身の高田さんは、学生時代に上京してから30年ほど川崎市内に住んでいます。1997年に富士通株式会社に入社し、現在は武蔵中原駅前にある富士通テクノロジーパークの事業所長を務めています。
「弊社のある中原区は、転入・転出する人が毎年約2万人という統計があり、変化が大きく刺激が多い地域です。そこから生まれる人々のパワーを感じていますし、ほかの地域から移り住んだ人も、川崎を第2のふるさととしていきいきと過ごせるまちだと思います。委員としては、産業・工業についてのテーマが楽しみ。川崎の産業の歴史を振り返り、次の100年を考えられる内容になることを期待しています」(高田さん)

反町充宏さん
中原区で生まれ育った反町さんは、現在NPO法人カワサキミュージックキャスト代表として、市内各区のイベント企画・制作・支援などを通して、音楽のまちづくりに携わっています。一般社団法人川崎市商店街連合会の理事・青年部長も務めます。
「人もまちも温かく、文化・音楽・スポーツなどのイベントが盛んで活躍のチャンスがあふれる川崎が大好きです。『川崎歴史100年』では、さまざまな歴史的ストーリーを重ねて今のすてきな川崎になったことを伝えたいです。川崎銀柳街やモトスミブレーメン通りなど、歴史もパワーもある魅力的な商店街があることも! 大人に子どもにも親しまれ、末長く何度も読んでもらえる本になれば、と思っています」(反町さん)
ししる vol.16
「川崎歴史100年」の取材現場をリポート(第3弾)
vol.14、vol.15に続いて、今回も『川崎歴史100年』の中の「かわさきと共に歩んだ ひとびとの物語」の取材現場をリポートします。
今回は、「里山フォーラムin麻生」の事務局長である石井よし子さんです。
令和8(2026)年4月21日、石井さんの活動現場である「柿生の里散歩道」を歩きながら取材しました。
ふるさと麻生の自然と歴史を守りたい

秋田出身の石井さんは、麻生区に移り住み、子育てを通じて地域への愛着を深めていく中で、子どもは「ふるさとを選べない」と気づき、だからこそ、この土地をさらに良い場所にして次の世代に引き継ぎたいと思うようになりました。
1998年から「おっ越し山ふれあいの森」での保全活動をはじめ、約30年にわたり地域の自然や文化を守るボランティア活動に取り組んできました。
石井さんが会長を務める「柿生の里クラブ」は、柿生駅近くにある「柿生の里特別緑地保全地区」の保全活動団体として、多摩丘陵の美しい自然が残る森や緑地で、下草刈りや、間伐、草花の保全などを行っています。
麻生区内では、以前から石井さんのように里山の自然保全に取り組む複数の市民団体や学校、農家などが活動していましたが、互いに交流し連携する場として、2001年に「里山フォーラムin麻生」が発足しました。
その発起人となったのも石井さんです。
石井さんが事務局長を務める「里山フォーラムin麻生」は、2026年3月の開催で25回を迎えました。
毎年、約40団体が麻生市民館に集まり、活動報告、講演、展示などを通じ交流しています。
そのほか、里山の写真展や、小学生を対象にした環境学習ワークショップ「あさお里山こどもクラブ」などさまざまなイベントを通して、地域の自然環境や歴史を次の世代に引き継ぐ活動を行っています。
駅から徒歩10分、豊かな自然を歩く

この日の取材は、柿生駅から徒歩10分ほどの場所に入口がある「柿生の里散歩道」を歩きました。
「おっ越し山ふれあいの森」の雑木林を歩きながら、石井さんのお気に入りの樹であるヤマザクラや、保全に尽力している草花の名前などを一つひとつ教えていただきました。コナラやケヤキなど、多種多様な樹木があるのが雑木林の良さです。
石井さんは「今残っている、この木々たちを守りたい」と話します。

「長年にわたり活動を続けられるのは、石井さんに人と人をつなぐ力があるからでは?」と尋ねると、
「このような活動はだれかの個人的な力では成り立ちません。大切なのは、お互いを認め合うことです。人間はこの雑木林のようなものですから。多様な人が集まっているからこそ、みんな少しずつ違って、そこがユニークなのです。」と答えてくださいました。
取材ではこのほかにも、地域の歴史のことや、子どもたちの環境学習の取組のこと、今後の環境保全の課題についてお話がありました。
ぜひ「川崎歴史100年」本編でお楽しみください。
ししる vol.15
「川崎歴史100年」の取材現場をリポート(第2弾)
前回に引き続き、今回も『川崎歴史100年』のなかの「かわさきと共に歩んだ ひとびとの物語」の取材現場をリポートします。
今回は、令和8(2026)年4月3日、一般財団法人川崎沖縄県人会の名誉会長である比嘉孝さん(78)を取材しました。
川崎沖縄県人会とは

沖縄県人会は、本土や海外に移住した沖縄県出身者が移住先で助け合うために各地で発足した団体です。川崎沖縄県人会は全国で最も歴史が古く、その設立は川崎市誕生と同じ1924(大正13)年。川崎市内の工場で働く沖縄県出身者たちは、助け合いの精神「ゆいまーる」を大切にこの地で暮らしてきました。
1994(平成6)年には、旧会館の老朽化のため、現在の場所に移転して新たに川崎沖縄県人会館が完成。琉球舞踊等の伝統芸能も披露できる大型のホールを備えた施設です。季節ごとの行事や、三線(さんしん)、民謡、舞踊、エイサーなど沖縄文化の公演イベントなどが開催され、沖縄文化の継承の場であるとともに、川崎と沖縄の交流拠点となっています。
会長就任と、県人会の財政立て直し

比嘉さんは、沖縄出身の両親の元、川崎で生まれ育った沖縄2世です。造船会社をはじめ、さまざまなお仕事を経験され、一時期には金属加工メーカーなどの経営者として、川崎のものづくり産業を支えてきました。ひたすら仕事にまい進し、多忙な日々を過ごしていた比嘉さんでしたが、2012年からの約10年間は沖縄県人会の会長を務めます。
就任当時、県人会の財政はかなり逼迫していたそうです。そこで比嘉さんは、さまざまな手立てを打って少しずつ財政を立て直し、県人会の安定した運営基盤づくりに貢献しました。
川崎と沖縄の文化の懸け橋に

さらに比嘉さんは、沖縄芸能や文化の普及にも尽力します。ラ チッタデッラでの「ハイサイフェスタ」への出店や、沖縄文化イベント「綾心〜あやぐくる〜」や「かりゆしフェスティバル」の開催など、川崎と沖縄の文化交流を推進してきました。
現在、県人会館では三線や琉球舞踊の教室を開いていますが、受講者の多くは沖縄出身ではない方なのだそうです。旅行で訪れるなどで沖縄を大好きになった人が、市内のイベント参加をきっかけに教室に通うことも多いといいます。比嘉さんは「大好きな沖縄の文化を、これからも川崎で広め続けたい」と話していました。
取材での比嘉さんのお話から、川崎と沖縄に深いつながりと歴史があることを知ることができました。
このほかにも、江戸時代からつづく川崎と沖縄とのつながりについてのお話や、川崎市と那覇市の友好都市としての関わりのお話もありました。
ぜひ「川崎歴史100年」本編でお楽しみください。
ししる vol.14
「川崎歴史100年」の取材現場をリポート(第1弾)
令和9(2027)年3月に発行予定の『川崎歴史100年』は、主に9つのテーマで構成され、現在、取材を進めています。
今回はその中の「かわさきと共に歩んだ ひとびとの物語」の取材現場をリポートします。
高津区の郷土史研究家を取材

「かわさきと共に歩んだ ひとびとの物語」は、人物への取材を通して、背景にある川崎の歴史や文化を浮き彫りにする企画です。
令和8(2026)年3月18日、武蔵溝ノ口駅からほど近い「大山街道ふるさと館」で、高津区在住の郷土史研究家・鈴木穆(あつし)さん(91)を取材しました。

高津区で生まれ育った鈴木さんは、平成8(1996)年からタウンニュース高津区版で1,000回以上にわたり、地域の文化や歴史について「高津物語」を連載執筆してきました。そのうち第1回から第772回までは書籍『高津物語(上巻・中巻・下巻)』にまとめられています。
今回の取材では、昔の大山街道周辺の町並みの様子や、戦時中の学童期の記憶、高津への思いなどが語られました。
高津への思いを後世に残したい

鈴木さんは成人後、学校教員を経て川崎溝ノ口郵便局長を務めます。そして高津青年会議所の設立にかかわり、高津区民祭の前身となる「高津納涼祭」の発起人にもなりました。また、郷土資料を収蔵・展示する「大山街道ふるさと館」の開設にも尽力しました。
高津への思いについて聞かれると、鈴木さんは「この土地に育ててもらった恩返しです。高津が好きですし、この歴史ある土地に生きた人たちの思いを後世に残したい」と話します。
「戦争は二度と嫌です」

子どものころの思い出について聞かれると、鈴木さんは太平洋戦争のさなかの小学生当時の記憶を語られました。
昭和11(1936)年に生まれた鈴木さんは、学童期を戦争下の社会で過ごされました。
近所の高津小学校の校庭には「たこつぼ」と呼ばれていた壕(ごう)が掘られおり、兵士は壕の中から敵機に向けて機銃を撃っていたこと。
疎開先の河川敷でグラマン戦闘機から機銃を掃射され走って逃げたこと。
疎開先の裏山に爆弾が落ち、火の手が上がったことなど……。
その当時の光景が鮮明に目に浮かぶほど詳細に語られました。
最後に、鈴木さんは「戦争は二度と嫌です。今ではこの高津の街も大きく様変わりし、この街並みを見ながら、平和になって良かったと感じています。」と語られていました。

取材には、ご高齢の鈴木穆さんのサポート役として、息子で俳優の鈴木淳さんも同席いただきました。
淳さんは取材を終えて「父は家族には戦時中のことはあまり話しません。戦争を経験し、生まれ育った高津へ恩返ししようと活動してきた父の背中がより大きく感じられました」と話されました。
「かわさきと共に歩んだ ひとびとの物語」では、鈴木さんを含め全部で10名に取材します。
ご自身の言葉で語っていただくお話しの背景には、どのような川崎の歴史があるのでしょうか。
本の完成をぜひ楽しみにしてください。
お問い合わせ先
川崎市総務企画局コンプライアンス推進・行政情報管理部公文書館
住所: 〒211-0051 川崎市中原区宮内4丁目1番1号
電話: 044-733-3933
ファクス: 044-733-2400
メールアドレス: 17koubun@city.kawasaki.jp
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