第6話「平(たいら)」
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宮前消防署向丘出張所付近からおおむね半径1キロの地域は、江戸時代には平村(たいらむら)と呼ばれていました。現在の平1~6丁目、五所塚2丁目、けやき平、白幡台1丁目、南平台、多摩区長尾2丁目の一部にあたります。地形的にはかなり坂が多いのに、「平(たいら)」とはこれ如何(いか)に。

第6話「平(たいら)」
江戸時代後期の「新編武蔵風土記稿」には「相伝ふ、古葛山平殿といひし人領せし故、平村と唱ふと云へり」と記され、古い時代の領主の名が地名となったとされています。1559年の「小田原衆所領役帳」にも「稲毛平之村葛山」という記載が残っています。
一方で、人名が地名に転ずる例は少ないことから、この地域の地形がもとになって「平(たいら)」という地名が生まれたとする説もあります。地名の「タイラ」は、本来は傾斜地を含んだなだらかな地形を指す言葉です。平村の北部にあたる高山(たかやま)、風久保(かざくぼ)あたりと南東部にあたるけやき平(たいら)付近はやや高い丘陵地ですが、中央部はなだらかで、みんなが親しみ大切にしている平瀬川が流れています。その穏やかな風景の特徴をとらえて「平(たいら)」という地名が定着してきたのかもしれません。

向丘小学校前のたいら坂。振り返ると平地域の開けた景色が広がり東名高速道路が見える

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