議会かわさき 第100号-実は本紙で三代目 議会広報紙の変遷
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実は本紙で三代目 議会広報紙の変遷
かわさきし議会月報 昭和24(1949)年~昭和63(1988)年4月
創刊号 昭和24(1949)年4月
戦後の復興という大きな課題を背負い、川崎市議会も新たなスタートを切りましたが、こうした議会活動を市民に正しく伝え、「真に議会と市民とが渾然一体(1面記事「創刊に際して」より)」となるべく、本紙が創刊されました。
●そのころ、川崎市は…?
昭和22(1947)年に初の公選市長が誕生し、翌年には戦後第1回の市議会が招集されました。第213号 昭和36(1961)年10月
市の人口増加に伴って事務量も増えたことから、昭和36年8月に第2庁舎を新設。議場が7階に設けられ、現在に至ります。それ以前の議場は、今も本庁舎2階の講堂として使われています。
●そのころ、川崎市は…?
昭和35(1960)年、プロ野球・大洋ホエールズが日本シリーズで優勝し、川崎市内ではパレードが行われました。かわさき市議会だより 昭和63(1988)年5月~平成2(1990)年
第700号 昭和63(1988)年7月
第698号[昭和63(1988)年5月]から、『かわさき市議会だより』とタイトルを改め、議会活動や市政の動きなどがさらに読みやすくなりました。第700号では、その記念として、第600号以降の主な出来事を写真でたどるとともに、初めてカラー写真を掲載しました。
●そのころ、川崎市は…?
昭和63(1988)年には、川崎駅が橋上駅舎化し、駅ビルや東西自由通路も完成しました。施設では、市民ミュージアムや産業振興会館などが開館しました。第724号 平成2(1990)年11月
この号では、1面を飾る写真がさらに大きくなって文字組もこれまでの全10段といった新聞型からは脱却し、“魅せる”紙面としての方向性をより強めています。次なる進化に向けて、『かわさき市議会だより』はこれにて終刊となりました。
●そのころ、川崎市は…?
平成2(1990)年、市民オンブズマン制度が発足。施設では、ヨネッティー王禅寺(余熱利用市民施設)などが開館しました。議会かわさき 平成3(1991)年~
創刊号 平成3(1991)年2月
『議会かわさき』とタイトルを変え、通巻も1号からカウントし直すなど、紙面を刷新。市内各世帯への配付も開始されました。当時は4面構成でしたが、発行サイクルを議会の会期に合わせて年4回とし、今の体裁により近付いていきます。
●そのころ、川崎市は…?
平成5(1993)年、Jリーグが開幕。当時、等々力陸上競技場を本拠地としていたヴェルディ川崎がJリーグ初代王者に。第74号 平成20(2008)年2月
この号から一般質問の掲載が始まりました。一般質問の掲載号は全8面となり、第88号[平成23(2011)年6月]では横書き仕様になるとともに、議会の仕組みやイベントなどを紹介する1面特集企画がスタートしました。
●そのころ、川崎市は…?
平成19(2007)年、アメリカンフットボールワールドカップを市内で開催。施設では、アートセンターが開館しました。今号で第100号に!
読みやすく(縦書きから横書きに)
分かりやすく(写真やイラスト、専門用語の解説を充実)
手に取りたくなる(市民参加、著名人インタビューなどの記事を掲載)
紙面づくりを進めています!
お問い合わせ先
川崎市議会局総務部広報・報道担当
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
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