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木造 兜跋毘沙門天立像

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2013年2月25日

木造 兜跋毘沙門天立像

木造 兜跋毘沙門天立像 1軀

年代

平安時代

像高

96.6cm

所有者

東光院(麻生区岡上217)

指定

市重要歴史記念物 昭和49年2月19日指定

解説

 丸い髻を結い、左手を屈臂して宝塔を捧げ、右手も屈臂して戟を持ち、地天の両手上に立つのは兜跋毘沙門天像によく見られる通りである。地天は髪を肩まで垂らし(平彫り)、袖の長い衣を着ける。
 構造は、本体の頭・体幹部から地天までも含めて一木から彫出し、背刳り(縦60cm、幅は中央で15cm)を施し、背板を当てる。両手は肩、手首で別材を矧ぎ付ける。持物別材。右腕、左手首より先、宝塔、戟、背板、台座は後補である。かつては虫損が著しく、像容を損ねていたが、近年の修理により保存処理がなされた。
 兜跋毘沙門天は毘沙門天の一異形像で、かつて中国西域兜跋国が攻められた時、城の北門楼上に出現し、敵を退散させたという故事を持つ。兜跋国とは、吐魯番=トルファンとも吐蕃=チベットともいわれるが、定説を見ない。古来、その伝説の故に王城鎮護のために安置されることが多かったという。日本でも平安時代以降造立されるようになり、京都東寺像は平安京の羅城門の楼上に安置されていたと伝えられる。
 東寺像は中国唐代の作例で、地天の上で左手に宝塔、右手に戟を持って立つのは本像と同じであるが、地天の両脇に鬼(尼藍婆、毘藍婆)が侍り、三面立の大きな宝冠を被り、西域風の特異な甲を付ける点が異なる。このような中国風の本来の姿の作例には、京都清涼寺像、滋賀善水寺像などがある。また、本像のような、髻を結い、普通の甲を着けた、和風化された兜跋毘沙門天像も多く造られた。
 本像はこんもりとした髻、節度ある柔らかな忿怒の相、穏やかな肉付け、あっさりとした彫り口、地天のやさしい顔など、平安時代後期の特徴が見受けられ、形と同様に作風も和様の趣が強い。全体に素朴でのどかな雰囲気を持ち、恐らく当地で制作されたものと思われる。兜跋毘沙門天の作例は関東地方では東北地方ほどには多くなく、県下の平安期作例では、鎌倉白山神社と南足柄朝日観音堂に知られているが、両像とも現状では地天上に立っておらず、本像は平安期に遡る確実な兜跋毘沙門天立像として貴重な存在である。

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