影向寺(寺史)

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2015年10月15日

八葉素弁蓮華文軒丸瓦

八葉素弁蓮華文軒丸瓦

住所

宮前区野川419

交通案内

JR「武蔵新城駅」から市営バス城11系統「宮前区役所前」行き、鷺02系統「鷺沼駅」行き、JR「武蔵小杉駅」から東急バス鷺02系統「鷺沼駅」行き、「影向寺」下車、徒歩8分

地図

解説

 多摩川の広大な沖積低地を望む宮前区野川東耕地の高台に、威徳山影向寺(ようごうじ)があります。当寺は、国指定重要文化財・木造薬師如来両脇侍像(やくしにょらいりょうわきじぞう)や神奈川県指定重要文化財・薬師堂(やくしどう)などの豊かな文化財を伝える古刹(こさつ)として知られており、宝永7年(1710)撰述の『影向寺仮名縁起(かなえんぎ)』によると、奈良時代の天平12年(740)に聖武天皇の命を受けた僧行基によって開創されたと伝えられています。
 ところが、近年の発掘調査の結果、奈良時代と推定される大型の掘立柱(ほったてばしら)建物跡・瓦塔(がとう)片・塔の基壇などが確認され、さらに出土した古瓦の様式から創建の年代は白鳳時代末期(7世紀末)にまで遡ることが確実になりました。また、薬師堂解体修理に伴う基壇部の発掘調査では、創建当時の堂宇(どうう)が現在の薬師堂とほぼ同じ位置に建てられていたこともわかりました。そして、金堂(本堂)の基壇は創建以降、版築(はんちく)工法による掘り込み基壇が8世紀中頃から後半に構築され、15世紀前後頃に行われた改修を経て、現在の薬師堂と同一の基壇が江戸時代の元禄7年(1694)に築かれるまでに、少なくとも4回にわたって変遷していた事実も解明されています。
 それでは、以上のような調査成果から影向寺の移り変わりを追ってみましょう。まず、創建当時の影向寺は、この地を支配していた有力豪族の氏寺として出発したものと考えられます。それが奈良時代の律令体制の中に組み込まれ、橘樹(たちばな)郡の郡寺として公的な性格をもつ寺院へと発展していきました。塔などの伽藍(がらん)が整うのはこの頃と考えられます。塔が建立されるまでの間は、おそらく瓦塔がその役割を果していたのでしょう。その後、平安時代には南都系宗派から天台宗への改宗がおこなわれ、中・近世には本堂を取り囲むように溝や土塁が構築されて、寺観は大きく変貌していきました。
 影向寺の性格や景観は時代とともに変遷しても、白鳳時代にともされた法燈(ほうとう)は、1300年もの長い歳月を経た今日にいたるまで、絶えることなく連綿と伝えられています。

所有指定文化財

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