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東高根遺跡

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空から見た東高根遺跡

空から見た東高根遺跡

住所

宮前区神木本町2

東高根森林公園内

交通案内

JR・東急線「溝口駅」南口から川崎市バス溝15~19系統「森林公園前」下車、徒歩約3分

地図

解説

 東高根(ひがしたかね)遺跡(神奈川県史跡)は、縄文時代後期・晩期の集落遺跡として著名な長尾(ながお)の下原(しもっぱら)遺跡に隣接して位置しています。遺跡は、標高55mほどをはかる台地上にあり、その斜面は三方を小さな谷によって囲まれています。

 この遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての集落跡で、台地斜面に繁茂しているシラカシ等の貴重な植物群集(神奈川県天然記念物)とあわせて、現在、県立東高根森林公園として一般公開されています。保存を優先しているため、まだ本格的な発掘調査はなされていませんが、周辺の遺跡の調査成果を参考にすると、東高根ムラ住人の生活ぶりは、つぎのように推測できます。

 まず、彼らの日常的な住まいは、前代の縄文人と同じで、地表面を半地下式に掘りくぼめた竪穴(たてあな)式の住居でした。

 生業も多分に縄文的で、谷戸(やと)水を利用してコメ作りを開始したとはいえ、その多くは近くの森のなかに棲む小動物を狩猟したり、春・秋には球根やたわわに実るドングリ等の堅果の実を採集して食糧にしていたものと考えられます。

 ところで、縄文人は仲間が死んだときは、住まう空間であるムラの広場に集団墓をつくって霊魂を鎮めていましたが、この遺跡をつくった弥生人は、考古学者が方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼んでいる家族墓をムラから離して営むようになりました。ちなみにこの遺跡の西側には、長尾鯉坂(こいさか)遺跡があり、そこからは一辺が20mもある大形の方形周溝墓が発見されています。

 このように多摩川と平瀬川に挟(はさ)まれた長尾周辺の古代遺跡は、ムラと墓、大きなムラ(母村)と小さなムラ(分村)、あるいはムラと生業の場との関連等を考えるときたいへん重要な意味をもつ地域です。

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