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十三菩提遺跡

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十三菩提式土器

地図

解説

 ひと口に縄文時代といっても、今から12000年位前から2600年位前までのことをさしますので、考古学の研究上、この長い時間軸を細かく区切る指標が必要であります。その指標となるのが縄文土器で、理由は土器の表面に飾られている文様が、時代により、地域により細かく微妙に変化しているからです。その目盛りになる遺跡を標式遺跡と呼んでいます。
 川崎市内では、高津区子母口(しぼぐち)の子母口貝塚とこの十三菩提(じゅうさんぼだい)遺跡の2か所がそれに該当しています。縄文時代は、年代の古い方から草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に大別していますが、この遺跡は、前期の十三菩提式土器の標式遺跡です。この遺跡から発見された土器は、昭和7年(1932)、考古学者甲野勇氏によって学会雑誌に紹介されました。写真でもわかるように土器の表面には、細いソーメン状の粘土紐(ヒモ)が貼(は)りつけられた特徴的なもので、縄文時代のなかでも、もっとも繊細な文様構成です。
 その後、遺跡は広い台地上に8カ所の地点にわかれて散在していることが確認されました。そして、過去何回か発掘調査されていますが、比較的最近では、昭和42年(1967)と昭和44年に実施されました。前者の調査では、小さな穴の中から土製の玦状(けつじょう)耳飾り(イヤリング)3点が発掘されています。この穴はお墓で、耳飾りは生前に愛用していたものでしょう。後者の調査では、十三菩提遺跡の竪穴(たてあな)式住居跡が発掘されています。この時期の住まいの跡の発見はたいへん珍しく、市内ではここだけです。
 考古学史的にも重要な意義をもつ標式遺跡のうち、子母口貝塚は史跡公園として保存されていますが、十三菩提遺跡の主要部分はすでに湮滅(いんめつ)してしまい、とても残念なことです。