東高根遺跡
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東高根遺跡
年代
弥生時代~古墳時代(集落跡)
指定面積
12,965平方メートル
所有者
川崎市
所在地
宮前区神木本町2
指定
県指定史跡 昭和46年12月21日
解説
東高根遺跡は、昭和44年頃、この遺跡をふくむ一帯に大規模な宅地開発計画が具体化したため、昭和45年8月に県・市教育委員会が予備調査を実施した。その結果、遺構・遺物の遺存状況がきわめて良好な古代遺跡であることが判明したので、遺跡部分は川崎市が神奈川県からの補助金を得て土地を買上げ、現状保存をはかることになった。また、台地部分の遺跡に加えて、斜面部分に繁茂する樹木が、照葉樹林の主要構成種であるシラカシで、天然記念物としても学術的に貴重であることが判明したので、その部分をあわせた文化財保存がはかられた。現在では、県立東高根森林公園として整備・公開されている。
遺跡は、多摩丘陵の東端に位置する台地上にある。台地下の三方には、小さな谷戸が鋭く湾入しているので、台地は独立丘的な景観をなしている。また、北側の谷戸部には湧水点が認められる。台地部分の標高は、約55mをはかり、遺跡の南側400mには、平瀬川が東流している。
発掘調査は、予備調査を実施しただけであるため詳細は掌握しかねるが、現時点では、おおよそ次のような推測をしている。
調査方法としては、遺跡が推定される台地部全体をカバーするようにトレンチ(試掘溝)を設定した。このトレンチで確認できた遺跡は、竪穴住居址62軒であった。これらの竪穴住居址は、重複するものが少なく、したがって遺構としての遺存状況はきわめて良好なものと推測された。
また、設定したトレンチ間隔やトレンチ内で確認された竪穴住居址の発見状況などから、竪穴住居址などの遺構は台地全域にわたって散在しているものと判断でき、その数も総数では100~150軒を優に越えるものと推測された。
発掘調査は、当初より遺跡の現状保存を想定していたため、竪穴住居址などの遺構は輪郭が確認できた面で止めている。そのため遺構の時期を決める土器などの遺物は、わずかしか発見されていない。それらをもとに、東高根遺跡は、弥生時代後期(3世紀頃)から古墳時代後期(8世紀頃)までの長期間継続したものと判断している。特に集落跡としての最盛期は、弥生時代後期にあたったようである。
東高根遺跡では、直接的な生活の場である居住部分〔台地上〕と稲などの生産の場が想定できる谷水田〔谷戸部〕とがセットで把握できる点で重要である。加えて、斜面にはシラカシを主体とした照葉樹とクヌギ・コナラなどの落葉樹がモザイク状に繁茂しているので、この空間からは食糧となる春・秋の植物などが採集できたことと思う。
史跡指定地に隣接した西側部分が、その後神奈川県によって公有地化された。南関東地方各地の事例から推測して、あるいはこの部分には方形周溝墓のような当時の墓地群が埋蔵されている可能性も考えられる。
このように、この遺跡は本格的な発掘調査を実施しない段階で現状保存が決定しているが、将来に多くの興味がある課題を残してくれているのである。
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