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馬絹古墳

  • 公開日:
  • 更新日:
馬絹古墳

玄室より羨門(入口)を見る

住所

宮前区馬絹994-10

交通案内

東急田園都市線「宮前平駅」から川崎市バス城11系統「新城駅前」行き、東急バス宮01・02「野川台」行き、「金山」下車、徒歩約5分

地図

解説

 馬絹(まぎぬ)古墳は、矢上川の沖積低地を望む標高43mほどの台地の南縁辺に立地しています。この古墳は、宅地造成が計画されたために、昭和46(1971)年に発掘調査が実施されました。その結果、墳丘径約33m、墳丘高約6mの円墳で、墳丘のまわりには幅3.5m、深さ1.5mほどの周溝がめぐり、墳丘の表面は葺石(ふきいし)で覆われていたことがわかりました。内部主体は、玄室(げんしつ)・前室・前々室の3室からなる複室構造の横穴式石室で、全長9.6mにも及ぶ非常に大型の石室です。この石室は泥岩(でいがん)の切石(きりいし)を組み合わせて、天井に向かって狭めて積んでいく手法(持ち送り式の截石切組積(さいせききりくみづみ))で構築されています。切石の接合面には白色粘土が帯状に塗り込まれていて、玄室の側壁・奥壁や玄門などにも同じ白色粘土で、円文や形の判然としない装飾文様が描かれています。残念なことに、遺骸に添えられていたと思われる副葬品は、盗掘されて残っていませんでした。

 しかし、玄室と前室から79本の鉄釘が発見されていますので、複数の木棺(もっかん)が安置されていたと考えられます。

 馬絹古墳の築造年代については、時期の決め手となる副葬品などがないので明確ではありませんが、石室の設計に唐尺(とうじゃく)が使用されていること(唐尺の1尺は30cmで、石室の寸法はおおむね3で割り切れる)や切組積で石室を構築していることから考えて、7世紀後半頃に築造されたものと思われます。馬絹古墳の精緻な築造技術や石室内の装飾方法は、古代朝鮮半島の古墳の影響を強く受けていると考えられます。おそらく、この古墳に埋葬された人物は、高い文化的レベルを持ち、政治力・経済力を握ってこの地域を治めていた有力豪族であったと思われます。

 馬絹古墳は、昭和46年に神奈川県の史跡に指定され、現在は史跡公園として保存されています。

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