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白幡八幡大神(禰宜舞)

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禰宜舞

禰宜舞

住所

宮前区平4-6-1

交通案内

東急田園都市線「宮前平駅」から川崎市バス溝15系統「溝口駅」行き、「白幡八幡前」下車、徒歩約5分

地図

解説

 宮前区平(たいら)にある白幡八幡大神(しらはたはちまんだいじん)の起源については、『新編武蔵風土記稿』によると、鎌倉時代、源頼朝が奥州征伐の時に建てた社であるとされています。また、『白幡八幡大神の栞(しおり)』によれば、源頼義が奥羽の征伐の勝利を祈願し、無事使命を果たせたことを感謝して康平4(1061)年にこの地に奉祠した社で、その後、源頼朝によって建久3(1192)年に源栄山八幡宮の名で再建されたと伝えられています。神社の始まりについては異なる二つの説がみられますが、現在のように白幡八幡大神と呼ばれるようになったのは、明治に入って郷社となってからです。現在の社殿は昭和48(1973)年に建てられたもので、応神天皇(おうじんてんのう)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)の3柱をお祀りしています。

 この白幡八幡大神では、7月20日と9月の第3日曜日(例大祭日)の年2回、禰宜舞(ねぎまい)が行われます。

 この神楽(かぐら)は神官の小泉家に代々伝承されているもので、慶長5(1600)年に徳川家康が関ケ原の戦いに出陣するさい、勝利を祈願してこの神社の神主に舞わせたのが始まりだといわれています。舞は一人舞で、しめ太鼓一つだけを伴奏にして、円を描くように廻ります。神官は、まず面を付けないで四方祓(よもはら)いを舞い、続いて面と衣装、持ち物を取り替えて猿田彦命(さるたひこのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)の5柱の神々に扮して舞います。彦火火出見命の舞の時には四方を弓で射る悪魔払いがあり、最後は神に供えた団子をまいて終わります。この禰宜舞は、白幡八幡大神だけで舞われるのではなく、川崎市域の登戸、梶ケ谷、大田区などの各神社へも出向いて舞われていることも特徴のひとつと言えます。白幡八幡大神の禰宜舞は、昭和59(1984)年に市重要習俗技芸に指定されました。

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