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木造 虚空蔵菩薩立像

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2013年2月25日

木造 虚空蔵菩薩立像

木造 虚空蔵菩薩立像 1軀

年代

南北朝時代〔明徳元年(1390)〕

像高

95.6cm

所有者

能満寺(高津区千年354)

指定

県指定重要文化財 平成4年11月20日指定

解説

 能満寺の本尊。右手は掌を前に向けて垂下し、左手は屈臂して宝珠を持つ。宝冠・光背・持物・瓔珞・両手首先・両足先・台座などは後補。左手第5指先欠失。割矧ぎ造、玉眼嵌入、彩色は剥落。宝髻をも含めた頭部と体幹部を一材で刻み、頭部は面部・後頭部及びその中間材と割矧ぎ、首も割矧ぐ。体幹部は両肩中央で前後に矧ぐ。両袖部は別材か。後頭部内側に次のような墨書銘がある。

墨書銘

墨書銘

 この銘文から、明徳元年(1390)、仏師朝祐の作とわかる。朝祐の事績は現在これ以外に、鎌倉の覚園寺で應永8年(1401)から同18年にかけて十二神将立像十一躯、同23年に伊陀尊天像(銘札のみ現存)、同25年に伽藍神倚像、同29年に日光菩薩坐像を造立したことが確認されており、作風から同寺の月光菩薩坐像も彼の作品であると推測されている(各木造)。没したのは應永33年(1426)。詳しい伝記を語ってくれる史料はみつかっていないが、14、5世紀ごろの鎌倉を中心とする東国では、運朝・朝栄・清朝など、“朝”の字を共有する仏師たちがかなり活躍している。彼らの系図上のつながりは未詳にしろ、朝祐もまたおなじ系統に属する鎌倉仏師の一人であったのかもしれない。
 この点は後考に待つとして、像は高く結い上げた頭髪、面長でやや女性的な顔立、裙・偏衫・大衣をまとう服制、腹部の衣皺表現などに宋元風の特色が目立つ。ただ、14世紀も早い頃の作品、たとえば鎌倉東慶寺の木造聖観音菩薩立像と比べた場合、形式は類似しているものの、両肩の張りがいくぶん弱く、毛髪や衣皺の刻出は簡略化しており、総体に写実的な柔軟さを欠く。朝祐は覚園寺日光菩薩坐像を造立した時、正安元年(1299)ごろの作と思える鎌倉浄光明寺木造阿弥陀三尊坐像のうちの脇侍像を手本にしている。能満寺像もまた、前代の遺例に範を仰いだ、とみてよいのかもしれない。独創性は乏しいが、作者、造立年代ともに明確な基準作であり、彫刻史上、貴重な遺例である。
 なお、虚空蔵菩薩は虚空のように広大無辺の徳を持つとされ、記憶力を増すための修法、いわゆる求聞持法の本尊として、わが国でも天平時代から信仰されてきた。神奈川県下にも、横須賀能満寺・横浜雲松院・平塚浄心寺あるいは鎌倉の富陽庵と虚空蔵堂などに木造像が祀られている。

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