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泉澤寺文書

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泉澤寺文書(徳川氏)奉公人〔代官頭〕連署奉書)

泉澤寺文書(九月十五日付 吉良頼康書状)

年代

戦国~江戸時代

所有者

泉澤寺(中原区上小田中7-20-5)

指定

市重要歴史記念物 昭和39年10月20日指定

解説

 浄土宗の宝林山泉澤寺は、延徳3年(1491)に武蔵国世田谷城主吉良頼高の菩提所として、同国多摩郡烏山(東京都世田谷区)に建立された名刹である。しかし、5世住職心参の代に焼失したため、天文18年(1549)に城主吉良頼高が現在地(中原区上小田中)において再建したのである。したがって、泉澤寺文書13点は、世田谷吉良氏を中心に、北条氏と初期幕府奉行人(代官頭)と代官に関連するものから成っている。
 吉良頼康の判物のうち、天文18年(1549)9月の文書は頼康が在誉上人と江戸周防守の献策により、現在の上小田中の地に泉澤寺を再興することにし、吉良家の諸侍や所領内の住民に造営費の一部を拠出するよう徘徊諸人に命じたものである。翌19年2月の文書は、泉澤寺の再興に当り、旧来からの寺領吉沢(世田谷区)を寄進する旨を伝えたものである。また、同年9月15日の文書は頼康の書状である。これは泉澤寺の落慶供養を迎えるに当り、阿弥陀三尊像と同像の供料として撰銭3雙(3貫文カ)を施入して、開眼供養に臨席する旨を伝えたものである。同年9月16日の判物は、上小田中の市場より泉澤寺の堀際まで寺門前として指定し、居住者に諸役・公事・勧進以下を免除して市場の繁栄を図ったものである。同25年正月23日の判物は世田谷郷旋沢村(世田谷区)のうち寺領分の泉澤寺旧地と民部谷を、再興した泉澤寺に安堵寄進することを伝えたものである。なお、天文24年10月には弘治と改元されている。したがって天文25年は弘治2年(1556)と改めるべきであるが、頼康には、まだ、この情報が伝わっていなかったとみられる。(年次未詳)2月19日の書状は、小田原城主北条氏康の意向によって法然上人忌などの供養料は、今年から泉澤寺に施入することなどを住職に伝えたものであり、同じく年次未詳の吉月吉日の書状では、泉澤寺住職に代々木村(東京都渋谷区)の宝伝寺を末寺にすることを伝えたもので、その善処を依頼している。弘治2年10月の頼康の印判状は、吉良氏の現存する印判状の中で最も古いものである。泉澤寺領の百姓が田畑をすてて逃亡したため、翌3年春から諸役、公事等の課役を免除し、百姓を連れ戻して年貢等は一応寺納させ、来年春から作付分のうち規定の年貢徴収を命じたものである。永禄元年(1558)の印判状は、頼康が泉澤寺に対して、同寺領のある旋沢のうちで、堂舎の屋根葺き替えのために採取した萱につき保証したものである。さきの印判状と同じく、印文は「諸願成就回令満足候」とある。
 小田原城主北条氏は、永禄7年(1564)2月19日、氏政のとき吉良氏の所領(蒔田領)である上小田中郷に対し制札を与えている。文言には江戸城所属の軍隊が竹木を切ることを禁じ、もし江戸城で必要なときは虎の印判により命じることが記してある。虎の印判は、印文に「禄寿応穏」とあり、北条氏の専用印として吉良氏にも大きな影響を与えていた。代官神谷弥五助重勝の書状は天正20年(1592)2月10日に、かつて泉澤寺へ20石の寺領を寄進することを告げたが、徳川家康が何分にも多忙のため朱印状の下付が遅れている。江戸へ帰城したとき渡すので心配しないようにと伝えたものである。徳川氏奉行人(代官頭)連署奉書は文禄4年(1595)12月26日のものであり、泉澤寺に朱印状がその後も下付されていないため、代官頭伊奈熊蔵忠次、大久保十兵衛長安、彦坂小刑部元正、長谷川七左衛門長綱の連署により、近日中に手形を下付するように取り計らうことを伝えたものである。
 これと同文のものが王禅寺と山王社(日枝神社)にも出されている。代官永田八太夫の(年次未詳)8月27日の書状は、同じく朱印状の下付が遅れているが、寺領の安堵は間違いないから安心されたい。一両日に江戸において取り計う旨を返答したものである。
 泉澤寺文書は、判物、印判状、書状の類に分けられるが、これらは戦国時代から江戸時代初期にかけての市域の推移を伝える基本史料であり、その内容はきわめて重要である。

1 吉良頼康判物(懸紙うわ書)

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2 吉良頼康判物(懸紙うわ書)

泉澤寺文書 吉良頼康判物 (懸紙うわ書)

3 吉良頼康書状(懸紙うわ書)

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4 吉良頼康判物

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5 吉良頼康判物(懸紙うわ書)

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6 吉良頼康書状

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7 吉良頼康書状(懸紙うわ書)

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8 吉良頼康印判状

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9 吉良頼康印判状

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10 北条氏・制札

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11 神谷重勝書状

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12 徳川氏奉行人(代官頭) 連署奉書

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13 永田八太夫書状

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