日枝神社(建造物)

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2010年12月20日

日枝神社本殿

本殿

住所

中原区上丸子山王町1-1455

交通案内

JR・東急線「小杉駅」から市営バス川71・74系統「川崎駅」行き、「山王町1丁目」下車、徒歩10分

地図

解説

 棟札(むなふだ)によると、現在の本殿(ほんでん)は元文5年(1740)5月に建立・正遷宮が行われた建物であり、大工は清沢村(現・高津区千年)の木嶋佐右衛門です。彼は影向寺(ようごうじ)薬師堂の大工棟梁木嶋長右衛門の次男で、木嶋家の名跡(みょうせき)を継いでいます。
 本殿は当初、独立して立っていましたが、18世紀末に本殿、幣殿(へいでん)、拝殿(はいでん)の形式を備えていたことが、寛政2年(1790)の境内絵図によって判明します。大正12年(1923)の関東大震災で拝殿と幣殿が倒壊し、本殿も被害を受けました。その後、昭和3年(1928)に拝殿と幣殿を再建しましたが、その際本殿の位置を少し南に移し、本殿の基壇(きだん)を新たに築き、また、土台を加えたと考えられます。
 本殿は正面柱間3間、側面2間、身舎(もや)の正面に庇(ひさし)を付けた形で、屋根は流造(ながれつくり)・銅板瓦棒葺(かわらぼうぶき)です。この本殿形式を間口が3間であることから、三間社(さんげんしゃ)流造といいます。市内に現存する江戸時代の神社本殿は一間社(いっけんしゃ)がほとんどで、三間社は当社が唯一の遺例です。三間社流造の本殿は正面に戸口を一つ開き、他を板壁として内部を一室にするのが古式ですが、この本殿は身舎を内陣(ないじん)と外陣(げじん)に分けて、内陣の床を高く造り、内陣と外陣の正面柱間各3間に板扉を立てています。これは山王大権現三座を祭ることに関係するのでしょう。
 流造本殿の意匠の重点は妻側の構成と正面向拝(ごはい)にありますが、この本殿もそこに時代の特徴が認められます。身舎の組物(くみもの)は出組斗栱(でぐみときょう)で、組物間に三猿などの動物を彫り出した蟇股(かえるまた)を置き、板支輪(いたしりん)に雲紋彫刻を施しています。妻飾(つまかざり)は二重虹梁(こうりょう)を大瓶束(たいへいつか)で受け、豕扠首(いのこさす)にて棟木(むなき)を支えます。また、虹梁間に背丈の高い彫刻付の蟇股を置き、外観はたいへん華やかです。向拝は中央の柱間を広くして、組物の間に龍の彫刻を置くなど、新趣向が見られます。なお、向拝の両側はもと建具がなく開放であり、また、正面に浜縁(はまえん)が付いていました。本殿(附 棟札1枚・山王社境内絵図1枚)は、平成2年(1990)に市重要歴史記念物に指定されました。

本殿平面図

本殿平面図

所有指定文化財

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