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Colors,Future! いろいろって、未来。 シティプロモーション副読本

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 川崎市ブランドメッセージの理解浸透を図り、川崎への愛着・誇りの醸成を目指すため、 GIGA端末用デジタル副読本「Colors, Future! いろいろって、未来。シティプロモーション副読本」を作成しました。
 この副読本は4つのページから構成されており、川崎市の魅力を紹介しながら、川崎市のブランドメッセージの意味を紐解いています。
 全市立小学校6年生(推奨学年)を対象に作成した副読本の内容を学校関係者以外の方も見ることができるよう公開しています。

4つのページ

川崎市の魅力

あなたは、川崎のどんなところが好きですか?
ここでは、わたしたちの住む川崎の魅力について学んでいきます。

目次

1 産業のまち・かわさき

川崎は、産業都市として日本の高度成長を支えてきました。
現在も多くの企業がものづくりをしています。
最先端の研究にも力を注いでいる川崎の産業について見ていきましょう。

川崎のものづくり

川崎市には、ものづくりをしている職人がたくさんいます。

その中でも特にすばらしい技能を持った名人を「かわさきマイスター」として認定しています。
かわさきマイスターは、小学校での体験学習や、イベントへの出展を通して、優れた技術や熟練の技を広く市民に知ってもらうために活動しています。

また、市内の中小企業が生み出した優れた製品や技術を「川崎ものづくりブランド」として認定し、企業を応援する取組もおこなっています。

かわさきマイスター

世界最先端の研究

キングスカイフロント

 羽田空港を目の前にした川崎区殿町地区にある「キングスカイフロント」というエリアでは、大学や企業が集まって、世界でも進んだ研究が行われています。
 今はまだ治すことが難しい病気の治療法や新しい薬の研究、さらに「病気を治す」から「病気にならない」という夢のような研究も行われています。

多摩川スカイブリッジ

 2022年3月には、多摩川スカイブリッジが開通し、東京都大田区の羽田空港と川崎区殿町地区がつながりました。
 羽田空港と川崎がより近くなることで、海外の研究者が川崎に来やすくなるなど、人やモノの流れが活発になっています。

 

 「新川崎・創造のもり」では、大学・企業・市役所が協力して、さまざまな分野の新しい科学技術の研究を行っています。 
 その中のひとつに、2021年7月に稼働したアジア初のゲート型商用量子コンピューター「Kawasaki」があり、これからの日本を変えていくような研究が進められています。 
 量子コンピューターをうまく使える人を育てるために、市内の高校生を対象とした体験教室を行うなど、次の世代の子どもたちが科学への夢を育む場にもなっています。

KBIC本館の写真

KBIC本館

NANOBICの写真

NANOBIC

AIRBICの写真

AIRBIC

環境先進都市

かわさきカーボンゼロチャレンジ2050

 1960年代、工場での生産が盛んになり、暮らしが豊かになりました。
 一方で、工場の煙や排水により空気や川が汚れ、ぜん息になる人が増えたり、市民の健康をおびやかすようになってきました。
 汚れた空気や川をきれいにしようと取組を進めていく中で、川崎市は高い技術を身につけてきました。
 世界的な気候変動から、令和元年東日本台風で川崎市も大きな被害を受けました。川崎市は、こうした背景から「2050年二酸化炭素排出ゼロ」の達成に向けて、2020年11月に脱炭素戦略「かわさきカーボンゼロチャレンジ2050」を定めました。
 市民や市役所、企業がみんなで協力して、2050年の脱炭素社会の実現を目指しています。

 また、「脱炭素アクションみぞのくち」という取組も行っています。
 高津区溝口周辺を脱炭素地域の見本とするため、脱炭素化につながる身近な取組を行っています。
 取組の効果や便利さを感じてもらうことで、市民一人ひとりが環境について考え、行動することを期待しています。

脱炭素アクションみぞのくちの取組
脱炭素アクションみぞのくちの取組の写真

産業観光

川崎市には、多くの企業があり、工場もたくさんあります。

工業都市である強みをいかし、さまざまな体験や学習ができる施設、川崎に根ざした日本を代表する企業の工場見学など、ものづくりに触れながら観光を楽しむ「産業観光」に取り組んでいます。

京浜工業地帯を代表するたくさんの工場も、夜になるとその景色の美しさから工場夜景として注目を集め、バスツアーやクルーズが組まれるなど、川崎の魅力の一つとなっています。

東芝未来科学館
かわさきエコ暮らし未来館
工場夜景

都市農業

市内で生産された農産物、「かわさきそだち」を知っていますか?

川崎は都市でありながら、身近なところに畑があることで、農業体験ができたり、地元産の採れたての野菜を食べたりすることができます。

野菜、くだもの、花、植木など、いろいろなものが作られています。

多摩区の伝統野菜「のらぼう菜」から、新たに「かわさきつや菜」なども生まれました。

都市農業
かわさきつや菜

2 文化芸術が盛んなまち・かわさき

川崎市は音楽や映像、演劇など文化芸術が盛んなまちです。
多くの人が文化芸術を楽しめるまち「川崎」を見ていきましょう。

音楽のまち

川崎市には、世界水準の音響性能を持つミューザ川崎シンフォニーホールがあります。

東京交響楽団は地域に根差した演奏会を行っており、一流の音楽を気軽に楽しめます。

また、 2つの音楽大学、4つの市民オーケストラ、100以上の市民合唱団など、多くの人が活動しており、川崎は音楽が盛んな「音楽のまち」です。

「フェスタサマーミューザ KAWASAKI」 や「かわさきジャズ」などの大きな音楽祭も毎年行われています。

ミューザ川崎シンフォニーホールの写真

ミューザ川崎シンフォニーホール

東京交響楽団の写真

東京交響楽団

かわさきジャズの写真

かわさきジャズ

映像のまち

川崎市には、大型の映画館からミニシアターまで多くの映画館があります。

映像制作に適したさまざまなロケーションに恵まれているため、 市内ではドラマや映画などのロケ地として撮影も多く、小学校では映像制作の授業も行われています。

また、日本を代表する映画監督の一人である今村 昌平さんが設立した日本初の映画学部のみの大学「日本映画大学」もあり、川崎は映像制作・上映ともに盛んな「映像のまち」です。

川崎市アートセンターの写真

川崎市アートセンター

小中学生を対象とした映像制作の授業の写真

小中学生を対象とした映像制作の授業

日本映画大学の写真

日本映画大学

多様な文化活動

川崎・しんゆり芸術祭を支えるボランティア

 川崎市北部は、芸術家や芸術に深い理解をもつ人が多く住んでおり、芸術活動が根づいています。
 そのような中、地域の人の手により「川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)」が始まり、毎年ゴールデンウイークの時期に、音楽、映画、演劇、伝統文化などを楽しむことができます。

Colors かわさき展

 また毎年11月には、作者の障がいの有無に関わらず、一つ一つの作品の魅力をダイレクトに感じてもらうことを目指す絵画展「Colors かわさき展」が行われています。
 障がいの有無に関わらず文化芸術に取り組む機会を増やすことで、多様性を尊重し、だれもが文化芸術に親しんでいるまちを目指しています。

3 スポーツのまち・かわさき

「川崎フロンターレ」をはじめ、多くのスポーツチームが川崎で活躍しています。
2024年パリオリンピック競技大会の追加競技として採用されたブレイキンをはじめ、若者文化も盛んな「川崎」を見ていきましょう。

川崎のスポーツチーム

川崎市は、川崎をホームタウンとして活躍するトップチームを、「かわさきスポーツパートナー」として認定しています。

かわさきスポーツパートナーの活躍は、川崎を全国にアピールするとともに地元への愛着や誇りを育んでいます。

市内の小学生を対象にしたスポーツ教室や地域の方との清掃活動、バスケゴールの設置など地域への活動も積極的にしてくれています。

川崎で活躍するスポーツ選手は、わたしたちが住んでいるまちが大好きです!

川崎フロンターレ(サッカー)の写真

川崎フロンターレ(サッカー)

川崎ブレイブサンダース(バスケットボール)の写真

川崎ブレイブサンダース(バスケットボール)

NECレッドロケッツ(バレーボール)の写真

NECレッドロケッツ(バレーボール)

富士通フロンティアーズ(アメリカンフットボール)の写真

富士通フロンティアーズ(アメリカンフットボール)

富士通レッドウェーブ(バスケットボール)の写真

富士通レッドウェーブ(バスケットボール)

東芝ブレイブアレウス(野球)の写真

東芝ブレイブアレウス(野球)

川崎の若者文化

川崎は、世界へトップダンサーを送り出してきた「ブレイキン(ブレイクダンス)の聖地」としても知られています。

ブレイキン、ミューラルアートのような「ストリートカルチャー」や、スケートボード、BMX(バイシクルモトクロス)のような「エクストリームスポーツ」といった、若い人から人気を集めている「若者文化」を川崎市は応援しています。

ブレイキンの写真

ブレイキン

ミューラルアートの写真

ミューラルアート

BMXの写真

BMX

川崎市では、若者文化を発信することで市の魅力を高め、「若い世代が集まり、にぎわうまち」を目指しています。

東京2020オリンピックの閉会式では、日本国旗の運び手を、川崎市出身のブレイキン選手である河合 来夢さんが務めました。

川崎のスポーツ施設

だれもが気軽にスポーツを楽しめる施設として、各区にスポーツセンターなどがあり、等々力陸上競技場やとどろきアリーナではプロスポーツの試合も行われています。

そのため、気軽にスポーツ観戦ができ、トップアスリートの活躍やプレーを間近で観ることができます。

東京2020オリンピック・パラリンピックでは、川崎市はイギリスのホストタウンとなり、イギリス代表チームは等々力陸上競技場で練習や調整を行いました。

また、BMX&スケートボード専用施設「KAWASAKI KEIRIN PARK」が2022年にオープンし、ストリートスポーツを楽しめるようになりました。

等々力陸上競技場の写真

等々力陸上競技場

等々力球場の写真

等々力球場

とどろきアリーナ(中原区)の写真

とどろきアリーナ(中原区)

カルッツかわさき(川崎区)の写真

カルッツかわさき(川崎区)

幸スポーツセンターの写真

幸スポーツセンター

高津スポーツセンターの写真

高津スポーツセンター

宮前スポーツセンターの写真

宮前スポーツセンター

多摩スポーツセンターの写真

多摩スポーツセンター

麻生スポーツセンターの写真

麻生スポーツセンター

KAWASAKI KEIRIN PARKの写真

KAWASAKI KEIRIN PARK

4 緑豊かな自然のまち・かわさき

川崎は、都会でありながらも自然が多く、市内には緑地や公園がたくさんあります。
多摩川、多摩丘陵をはじめ、農地・河川など多様な生き物が息づく環境も残されています。

多摩川

多摩川は、川崎市に残された貴重な自然空間で市民の憩いの場です。

川崎という地名は「多摩川のさき」という自然地名によるものとされています。

川崎の地を潤しながら縦断する多摩川は、川崎のシンボルといえます。

多摩川
多摩川の写真

富士見公園

富士見公園は、川崎市で初めての都市公園として1940年に開園しました。

北側にはテニスコートや相撲場、南側にはアメリカンフットボールやサッカーなどができる「富士通スタジアム川崎」があります。

毎年11月には「かわさき市民祭り」が行われ、多くの人でにぎわいます。

富士見公園の写真

富士見公園

かわさき市民祭りの写真

かわさき市民祭り

等々力緑地

等々力緑地には、四季園、ふるさとの森、つり池など自然と触れ合うことのできる場所が充実しています。

また、陸上競技場や野球場、テニスコート、サッカー場、とどろきアリーナなど、多くの運動施設もあります。

四季園の写真

四季園

ふるさとの森の写真

ふるさとの森

釣池の写真

釣池

生田緑地

生田緑地の写真

 多摩丘陵に位置する生田緑地は、四季折々の自然を感じることができる緑豊かな場所です。
 ゲンジボタルやホトケドジョウなど、市内でも限られた地域にしか見られない生物が生息しており、都市に残る貴重な自然としても注目を集めています。
 こうした環境の維持・管理は、多くのボランティア・NPOなどの活動によって支えられています。

また生田緑地内には、岡本太郎美術館や日本民家園、藤子・F・不二雄ミュージアム、かわさき宙(そら)と緑の科学館など特色ある施設がたくさんあります。

生田緑地内の施設

川崎市のブランドメッセージ

目次

1 ブランドメッセージって?

 ブランドメッセージとは、わたしたちが住んでいるまちの魅力やこうありたいという気持ちを言葉にしたものです。
 川崎市には、たくさんの魅力があります。そのため、ばらばらと魅力を発信していると川崎市のイメージがぼんやりしてしまい、どのようなまちを目指しているのか伝わりづらくなってしまいます。
そこで、川崎市は、2016年にブランドメッセージ「Colors, Future!いろいろって、未来。」を定めました。
 このブランドメッセージには、どのような川崎の価値が表現されているのか紐解いていきましょう。

2 これまでの川崎と今の川崎

川崎がどのようなまちなのか知るために、まずはこれまでの川崎と今の川崎を見てみましょう!

古くから交流がさかんなまち

歌川広重「東海道五拾三次 川崎六郷渡舟」

 東海道や大山街道などの街道と宿場、川崎大師のお参りなど、川崎市はたくさんの人たちが行き交う中でその文化を育んできました。
 いろいろな人が川崎を訪れたり、川崎から別の場所へ行ったりすることで、さまざまな交流が生み出されてきました。

産業の発展とともに、多くの人が集まったまち

昼の工場

 戦前・戦後を通じて京浜工業地帯の中心として、川崎市は日本経済の発展を支えてきました。
 川崎の産業が発展していくとともに、働く場を求めて多くの人が川崎に集まり、いろいろな地域の人を受け入れてきました。

いろいろを受け入れてきたまち

 現代では国際化の進展により、さまざまな外国人も川崎で暮らし、さまざまな文化が共存しています。
 国や民族、文化のちがいを豊かさとして、お互いを認め合えるまちを目指しています。

3 川崎らしさってなんだろう?

 川崎市は、産業や文化芸術、スポーツ、自然などのさまざまな魅力があり、それぞれの良いところを認め合い、かけ合わせてさらによいものをつくることで発展してきました。
 これからも、いろいろであることを豊かさととらえ、新しい魅力を生み出していく川崎市でありたいという思いをブランドメッセージとして表現することで、川崎市は統一感をもって情報発信をしています。

4 川崎市のブランドメッセージ

ブランドメッセージ

ブランドメッセージには、多様性を認め合い、つながり合うことで、新しい魅力や価値を生み出していこうという川崎市の願いがこめられています。

Q川崎市のロゴマークの色は、なぜこの3色になったのでしょうか?

川崎市ロゴマーク

 赤・緑・青の色は、光の三原色で表されています。この3色は重ねるとどんな色もつくることができます。
 赤、緑、青という光の三原色で人と人がつながり合い、交じり合うことで、どんな色でも作り出すことができる川崎の多様性と可能性を表現しています。

5 川崎市はブランドメッセージをどのように発信しているのかな?

川崎市では、さまざまな方法でブランドメッセージを発信しています。

PRポスター

 川崎市はブランドメッセージのポスターを作成し、川崎の多様性や可能性について発信しています。
 2016年~2019年PRポスターは「多様性は、可能性」をテーマとし、2020年~2022年PRポスターは多様なものが交じり合うことで、新たな価値を生み出せる未来への可能性を表現したポスターとなっています。

デジタル絵本

「かわさきのいろいろ」をテーマに、デジタル絵本「かわさき いろいろ 5・7・5」を作りました。
川崎市にゆかりのある8人が5・7・5の言葉に思いをのせて、イラストを添えて作成しています。

子どもから大人まで親しみやすい絵本にすることで、ブランドメッセージの理念をより身近に感じてもらい、
多くの方に「共感」してもらえるよう取り組んでいます。

かわさきいろいろ5・7・5の画像

また、川崎のよいところ、好きなところを5・7・5の言葉にすることで、あらためて川崎市を知り、さらに好きになってもらうため、「次の100年に向けて」をテーマに、新しい作品をみなさんから募集しました。

みなさんから募集したところ、スポーツ、音楽、自然、生活、川崎のいろいろな魅力を表した川崎愛あふれる6,000作品以上の5・7・5が集まりました。6,000作品以上の中から8作品を選び、川崎を知る人たちに「川崎ってそうだよね」と「共感」してもらえるように、川崎市に住んでいるイラストレーターの絵で絵本を作成しています。

かわさきいろいろ5・7・5の第2弾画像

動画

川崎市のブランドメッセージ動画をはじめ、市のプロモーション動画を作成することで、

川崎のさまざまな魅力を伝え、川崎の多様性について発信しています。

グッズ

新しく入学する小学校1年生にクリアファイルを配布したり、イベント参加者に自分だけのブランドメッセージ缶バッジを作成してもらったりしています。

グッズ

まちのいろいろな場所で!

ブランドメッセージ

 まちを歩いていると、いろいろな場所にロゴマークがあります。
 多くの人の目に触れることでロゴマークを広く知ってもらおうと取り組んでいます。

6 ブランドメッセージが伝わるとどうなる?

ブランドメッセージの意味が伝わると、多様であることを受け入れる川崎のあたたかさや新しい魅力を生み出していくことのできる川崎の豊かさが多くの人に伝わり、「川崎っていいね」と感じる人が増えていきます。

自分が住んでいるまちを好きになっていくと、「川崎をもっと良くしたい!」と、まちを良くするために行動を起こすようになります。また、「ほかの人にも川崎を好きになってもらいたい!」と、まわりの人に川崎の良さを伝えていきます。

まちを好きな人が増えると、まちを良くしようと行動する人も増えていき、まちはどんどんよくなっていきます。

好きということは、愛着や誇りが芽生えているということです。まちへの「愛着」 「誇り」 をもち、「まちのために自ら関わっていこうとする気持ち」のことを「シビックプライド」と言います。シビックプライドの高い人が増えると、まちのために行動する人が増えていきます。

まちを好きな人を増やし、まちをよくしていくために、川崎市はブランドメッセージを活用しています。

魅力×ブランドメッセージ

 ここまで、川崎市のまちの魅力と川崎市のブランドメッセージについて学んできました。
 ここでは、まちの特色やまちで活動している方のエピソードをもとに、わたしたちの身の回りで多様性があたたかさや可能性につながっているできごとを見ていきましょう!

目次

1 産業 × 多様性

人と人が手を取り合うことで生まれる新たな可能性

宇治抹茶チョコ大福

 川崎市にある和菓子店「末広庵」が、森永製菓が持つ特許を活用して、宇治抹茶チョコ大福を開発しました。
 「エンゼルのほっぺ」と名づけられたこの大福は、無添加で体に優しい和のスイーツです。
 大企業が保有している特許を中小企業の新製品開発に活用する川崎市の取組により実現しました。
 森永製菓と末広庵が協力することで、両社の利点を活かした大福を開発することができました。
 1人ではできなかったことも、手と手を取り合うことで新しいものを生み出すことができます!

2 文化芸術 × 多様性

音楽のまち・かわさき

写真

 川崎市を大きなステージととらえ、ジャズを通じてさまざまな出会いと交流の機会を作る「川崎らしさ」にこだわったジャズ・フェスティバル「かわさきジャズ」。
 19世紀末にアメリカで生まれた「ジャズ」は、さまざまな文化を取りこみながら世界中に広まっていきました。
 こうしたジャズの歴史を、川崎の特色である「多様性」に重ね、川崎という‘’まち‘’に染みこんだ多様な文化や人々の記憶に橋をかける音楽フェスとして毎年行われています。
 音楽を通じてあらゆる人が新たな価値観に出会う場を作り、だれもが認め合えることを目指しています。
 音楽を通じて多様性を受け入れ、都市への愛着が育まれています!

3 スポーツ × 多様性

川崎フロンターレ

センサリールーム

 川崎フロンターレは、等々力陸上競技場のメインスタンドの一室を活用したセンサリールームという感覚過敏の子どもとその家族が安心して試合観戦できる部屋を設けています。 
 大きな音やまぶしい光、人混みなどが苦手な人もここでは落ち着いた場所で、サッカー観戦を楽しむことができます。
 川崎フロンターレは観客の多様性に配慮してだれもがスポーツ観戦を楽しめるようにしています!

「ブレイキンの聖地」カワサキ

 ダンスは、中学校の必修科目としてみんなが体験します。2021年にはプロダンスリーグ「Dリーグ」が始まり、ダンスはより身近なものになってきています。
 ブレイキンの発展に大きな影響をあたえてきた川崎市出身の「Katsu1」こと石川勝之さんはブレイキンの魅力を次のように語っています。

石川勝之さん

 「ブレイキンは人とちがうことを受け入れる文化があります。年齢・性別・性格や言語のちがい、障がいの有無に関係なく、同じ目線、同じ舞台で踊ることができます。人とちがうこと、それこそが魅力で、それを生かせるダンサーはすごくかっこいいんです。」
 いろいろな人がいて、それぞれの個性を尊重していくブレイキンは、川崎のブランドメッセージと重なるところがありますね。

4 自然 × 多様性

全国都市緑化かわさきフェア

 川崎市は、2024年に市制100周年を迎えます。これまでの100年を振り返り、次の100年に向けた取組として、花と緑の祭典「全国都市緑化かわさきフェア」を2024年秋と2025年春に行います。
 川崎市の三大公園「富士見公園」「等々力緑地」「生田緑地」をメイン会場に、市内全域で、市民のみなさんと盛り上げていきます。

富士見公園

富士見公園「多様性×みどり」

等々力緑地

等々力緑地「体験・体感×みどり」

生田緑地

生田緑地「歴史・文化×みどり」

緑化フェアロゴマーク

 「みどりで、つなげる。みんなが、つながる。」をテーマに、自然の大切さや川崎の歴史を学ぶきっかけになるものです。
 次の100年へ向けて、川崎の未来をどうつくっていくのか自然の大切さを考え、行動してみましょう!

市制100周年

 ここからは、川崎市が2024(令和6)年7月1日に市制100周年という歴史的な節目を迎えるにあたり、私たちのまち「川崎市」のこれまでの歩みや歴史を、昔の川崎のまちの写真を見ながら振り返ってみましょう!
 これから紹介するカラー写真は、川崎のまちの白黒写真をカラー化したものです。かわさきマイスターの印刷技能士 流石栄基さんが写真提供者への聞き取り等を行ってカラーで再現しました。写真とあわせて当時の様子が思い浮かぶような説明文も添えられているので、読んでみるとそこにいるような気持ちになるかも。白黒写真とカラー化した写真を見比べたり、住んでいるところの近くの写真を探したりしてみよう。
 それでは、一緒に昔の川崎のまちにタイムスリップしましょう!

目次

0才 川崎市誕生!(川崎区)【1924(大正13)年】

ポスター

 1924(大正13)年7月1日に川崎町と大師町、御幸村の2町1村の合併により誕生した川崎市。この写真は川崎市誕生直後の時期に市役所庁舎(旧川崎町役場)で撮影した貴重な写真です。
 よく見てみると、建物を何か細長い棒で支えているのが見えます。実は、前年の関東大震災で被害を受けた建物を、丸太のつっかえ棒で支えていました。川崎市は震災の復興とともに産声を上げたのです。ここから川崎市としての100年の歴史が始まりました。

1才 「丸子橋」近くで水遊び(中原区)【1925(大正14)年ごろ】

ポスター

 多くの人が多摩川で水遊びをして、おめかしした大人たちが河川敷で見守っています。この写真は川崎市誕生の翌年ごろに今の丸子橋辺りで撮影したものです。多摩川の河川敷を楽しむのは、今も昔も変わりませんね。
 この辺りは、1935(昭和10)年に丸子橋が開通するまで、平安時代からあったと言われる丸子の渡し舟しか川を渡る手段がありませんでした。現在かかっている丸子橋は、2000(平成12)年にかけかえられた2代目です。

23才 一面農地の「梶ヶ谷貨物ターミナル駅」付近(宮前区)【1947(昭和22)年ごろ】

ポスター

 農地の間に見える道。今のJR貨物の梶ヶ谷貨物ターミナル駅近くを通過する「尻手黒川道路」の金山交差点付近の写真です。この辺りは、台地に小さな谷が入りこんで、起ふくに富んでおり、土じょうも豊かで水はけがよかったため、古くから麦などの畑作農業が盛んに行われていたと言われています。
 今では、宅地化が進みましたが、宮前メロンや江戸時代から生産された馬絹の花桃など、ブランド化した作物もあります。みんなは食べたことがありますか?

26才 子どもたちの遊び場「久地円筒分水」(高津区)【1950(昭和25)年ごろ】

ポスター

 子どもたちが気持ちよさそうに水遊びをしているこの場所、どこか分かりますか?
 農業用水や飲み水として地域に欠かせない水脈であった二ヶ領用水にある久地円筒分水という場所です。円筒分水は、水の配分をめぐる争いが絶えず、4つの堀に公平に分け流すために1941(昭和16)年に完成しました。当時は、子どもたちの夏の遊び場にもなっていたようです。
 二ヶ領用水は、多摩区から幸区までを流れる農業用水路として、江戸時代に徳川家康の命で14年の歳月をかけて造られ、今では、国登録記念物に登録されています。

29才 にぎわう「向ヶ丘遊園」(多摩区)【1953(昭和28)年ごろ】

ポスター

 笑顔で乗り物に乗る子どもたち。川崎市内に向ヶ丘遊園という遊園地があったことを知っていますか?
 川崎市が誕生して間もない1927(昭和2)年に開業して、2002(平成14)年に閉園するまで75年にわたり営業していました。開業時の向ヶ丘遊園駅は、稲田登戸駅という名前で、1968(昭和43)年には向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正面までモノレールが開通する等大いににぎわっていました。
 閉園後は、当時からあった生田緑地ばら苑は市が受けつぎ、正門付近の跡地には2011(平成23)年には藤子・F・不二雄ミュージアムが完成し、今でもみなさんの憩いの場となっています。

30才 動物園ができる前の「夢見ヶ崎公園」(幸区)【1954(昭和29)年ごろ】

ポスター

 子どもたちがブランコで楽しそうに遊んでいます。実はこの場所、今は市内唯一の動物園である夢見ヶ崎動物公園のすぐ近くです。夢見ヶ崎動物公園の開園は1972(昭和47)年で、公園内に動物コーナーを開設したのが始まりでした。
 地元に親しまれて加瀬山と言われ、かつてはここから東京湾を一望できました。加瀬山の歴史は古く、分かっているだけで、4世紀後半から7世紀後半のものと考えられている11もの古墳などが築かれていました。
 公園内にある「加瀬台古墳群」と題した説明プレートには古墳発掘調査の様子の写真などが掲載されています。ぜひ探してみてください。

32才 「武蔵小杉駅」で電車を待つ風景(中原区)【1956(昭和31)年ごろ】

ポスター

 冬の夕方、今と変わらず電車を待つ人々。駅名標に「むさしこすぎ」と書いてあります。70年ほど前の南武線武蔵小杉駅のホームの写真です。
 今は1日20万人以上が利用するターミナルとなりましたが、砂利を運ぶための駅として始まりました。駅周辺は1940年代後半から発展をはじめ、1947(昭和22)年に保健所などの公共施設ができて、行政の中心地になりました。その後、1965(昭和40)年ごろからは、宅地化が進んで、大企業の社宅が多く建てられました。
 今のタワーマンションが建設されるようになったのは2000年代になってから。工場跡地などの広大な土地の再開発でまちの景観が一変しました。

35才 地域のシンボル「弘法の松」(麻生区)【1959(昭和34)年ごろ】

ポスター

 子どもたちが寄り添っている大木は王禅寺にある弘法の松。よく見てみると、木は燃えて枯れてしまっているのが分かります。
 当時、高さ32m、幹回り7m、根回り11mもある樹齢数百年をこえる黒松の大木があり、地域のシンボルのような存在と言われていましたが、1956(昭和31)年に燃えて枯れてしまい、この写真が撮られた後に、植えかえが行われました。
 今は、弘法松公園内に約10年前に植えかえられ、これからの成長が楽しみな若い松が育っています。ながめの良い展望広場もある公園には、「弘法松跡」という石碑が立っていますので、ぜひ探してみてください。

36才 東洋一と呼ばれた「新鶴見操車場」(幸区)【1960(昭和35)年ごろ】

ポスター

広大な敷地に多くの貨物列車が並んでいます。今のJR新川崎駅の改札を出てすぐの鹿島田跨線橋一帯にかつてあった、東洋一と呼ばれた貨物の拠点、新鶴見操車場の写真です。
 臨海部にある工業地帯と全国各地を行き来する貨物列車操場として1929(昭和4)年に完成し、その面積は東京ドーム17個分もの広さである約80haもありました。最盛期には、一日5,000両もの車両を操車していましたが、トラック輸送が主流となるとともにその使命を終え、1984(昭和59)年に、信号場としての機能を残して貨物区は廃止となりました。
 操車場跡地は、その後、先端技術の研究拠点へ姿を変え、私たちの生活を豊かにする産業や技術を育む場所であり続けています。

38才 多くの労働者を運んだ「川崎市電」(川崎区)【1962(昭和37)年ごろ】

ポスター

 川崎駅前にかつてあった百貨店「小美屋」の看板前に停まっている路面電車。川崎駅と臨海部がかつて路面電車(市電)で結ばれていたことを知っていますか?
 市電開通にあたっては、運転士と車両7台は東京から、軌道技術者は南武線から、制服などは国鉄、カバン・パンチは東京と横浜からというように、そのほとんどは、周囲の思いやりにより形になりました。川崎市ブランドメッセージがあらわしている「多様性」はこの時代から変わっていないことが分かりますね。
 産業道路沿いにある桜川公園には、かつての市電が展示されているので、ぜひ立ち寄ってみてください。

41才 家族で行った「梨のもぎとり」(多摩区)【1965(昭和40)年ごろ】

ポスター

 笑顔でもぎとった梨を入れたかごを手に歩く家族たち。かつて川崎の南部から北部まで梨の栽培が盛んでした。
 梨の栽培は、江戸時代から川崎区の方で行われていましたが、工業化に伴い、昭和初期から多摩区での栽培が盛んになりました。昭和30年代になると、梨のもぎとりがブームになり、東京からもたくさんの家族連れが来て、観光バスが乗り付けるほどにぎわっていました。
 今も、多摩川梨のブランドでみんなに夏の味覚を提供してくれています。ぜひ食べてみましょう。

42才 「大山街道」にかかる大石橋(高津区)【1966(昭和41)年ごろ】

ポスター

 かつて江戸への物流の大動脈であった大山街道に立ち並ぶ商店。歴史ある大山街道が高津区内を通っていることを知っていますか?
 伊勢原市にある大山はかつて雨降山と呼ばれ、多くの人々が雨ごいのために訪れるため、また江戸への物流の輸送路のために大山街道が利用されました。高津区内には、二子と溝口に宿駅が置かれ、とてもにぎわっていたと言われています。
 そんな大山街道と地域に欠かせない水脈であった二ヶ領用水が交わる場所がこの写真に写る大石橋。今も周辺には古い蔵造りの建物などが残り、当時の名残りを感じることができます。

42才 近代的な造りで人々を魅了した「百合ヶ丘団地」(麻生区)【1966(昭和41)年ごろ】

ポスター

きれいな住宅前のブランコを楽しむ二人の子ども。半世紀以上前の写真とは思えない、今と変わらない光景です。
 写真に写る百合ヶ丘団地は、1960(昭和35)年前後に百合ヶ丘駅周辺の里山を切り開いて、住宅地として開発されました。当時は、近代的な造りで、トイレは洋式、キッチンはステンレスで人々が住みたいとあこがれる場所だったそうです。また、団地内にはスターハウスと呼ばれる上から見るとY字型をした建物があったことも特徴の一つでした。
 今も高台にある団地からは富士山を見ることもでき、写真と同じ場所にはブランコが設置されて、子どもたちの遊び場であり続けています。

44才 夏の楽しみ「鷺沼プール」(宮前区)

ポスター

 カラフルなパラソルに水深が深そうなプール。かつて、市内最大規模の屋外プールとして鷺沼駅近くにあった鷺沼プールです。
 写真の後方に写っている東急田園都市線の開発による住宅開発に伴い、1967(昭和42)年に川崎市水道局鷺沼配水池が設置され、その屋上部を有効活用するため翌年にオープンしました。
 子ども向けプールのほかに、水深180cmもある六角プールもあり、最盛期の1984(昭和59)年には夏の2か月弱で約50万人が訪れる一大レジャースポットでした。
 利用者減少を受けて2002(平成14)年に廃止され、今では、「フロンタウンさぎぬま」をはじめ、教育、広場・公園、運動施設、福祉の4つのゾーンに分けられて活用されています。

白黒写真カラー化プロジェクト

 各区2枚ずつ、全部で14枚の写真を使って、タイムスリップしたような気持ちで「川崎市」のこれまでをふり返ってみました。
 みんなが住んでいるところの近くの写真はありましたか?私たちのまち「川崎市」のことを今までよりもさらに知ることができたと思います。
 今回紹介した以外にも全部で20枚の川崎のまちの白黒写真をカラー化しているので、他の写真もぜひ見てみてください。

白黒写真カラー化プロジェクト

川崎市の歩みを見てみよう

川崎市市制100周年記念事業公式ウェブサイトでは、「川崎市の歩み」外部リンクを年表などとともに紹介しています。

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市制100周年PRポスター

 市制100周年に向けて、7区それぞれで撮影された古い白黒写真等を用いた区ごとの市制100周年PRポスターをブランドメッセージのポスターとあわせて作成しました。
 何枚かのポスターでは、これまで紹介した写真を使用しているので、確認してみよう。
 すでに、市内各所に掲示しているので、まちの中で探してみよう。まちで見つけたら、今日勉強したことをまちの人や友達、家族などに話してみましょう。

市制100周年PR広報紙

 白黒写真カラー化プロジェクトや市制100周年PRポスターと連動した取組として、「市制100周年PR広報紙」を7区ごとに作成しました。
 表面は区ごとのPRポスターと同じデザインを活用するとともに、裏面は「ぶら〇〇区」と題し、それぞれの区をぶら歩きしながら、白黒写真カラー化プロジェクトで取り上げた場所を中心に区の成り立ちなどを掲載した広報紙となっています。読んでいると、思わず「へぇー」と声が出てくるかも。
 まずは自分の住んでいる区の広報紙を読んでみよう。そして、他の区の広報紙も読んで、各区のことを学びましょう。

市制100周年PR広報紙

市制100周年に向けて「川崎市映像アーカイブ」

 これまで紹介してきたもの以外に、川崎のまちをふり返ることができる貴重な資源として、「川崎市映像アーカイブ 」があります。
 「川崎市映像アーカイブ」では、川崎市が保有する1952(昭和27)年から2007(平成19)年までの「市政ニュース映画」を中心に、川崎の過去を知る人物のインタビュー動画など、多数の映像を広く公開し、映像を通じて川崎のまちの過去の姿や人々の生活、そして今も残る姿を知ることができます。
 興味のある映像を探して、見てみましょう。

川崎市映像アーカイブ

市制100周年からはじまる「Colors, Future! Actions」

 ここまで市制100周年に向けた川崎市の歩みを勉強してきました。私たちのまち「川崎市」のこれまでのことが少しずつ分かってきましたか。これまでの100年間の勉強を通して、改めてこれまで川崎のまちを発展させてきた方々に感謝しましょう。
 そして、これからの100年は私たちが主役となってまちをつくっていく必要があります。
 市制100周年では、川崎市ブランドメッセージ「Colors, Future! いろいろって、未来。」をコンセプトとして、さまざまなアクションを生み出して盛り上げていきます。
 市制100周年からはじまる「Colors, Future! Actions」。あなたはどんなアクションができますか。
 「あたらしい川崎」を生み出していく新たなスタートラインとして、川崎の未来をみんなで考えていきましょう!

100周年PRポスター

「15のアクションテーマ」

「アクションを起こそう!」といっても、なにをすればよいのかな?
100周年をきっかけに「もっと川崎がよくなる」「もっと川崎を好きになる」活動を企画(きかく)するための” 目印”として作られたのが「15のアクションテーマ」
みんなの興味があるアクションテーマはどれかな?
いつも取り組んでいることを、100周年をきっかけに、さらに大きくしたり、家族・友達などと一緒になにか新しいことを始めたりしてもOK、自分ならどんなアクションができそうか、アクションテーマを見ながら考えてみましょう! 

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