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弘法大師道標

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2010年6月7日

弘法大師道標

弘法大師道標 1基

年代

江戸時代〔寛文3年(1663)〕

法量

高さ171cm 幅52cm 厚さ47cm

所有者

平間寺(川崎区大師町4-48)

指定

市重要歴史記念物 昭和63年11月29日指定

解説

 平間寺は「厄除大師」として、西新井大師(東京都足立区)などとともに、江戸時代中期ごろから関東の人たちの信仰を集めた。とくに明治以降、初詣で賑わうことは他の社寺を圧している。
 この道標は平間寺本堂向って左手前の植込みの角に北面して据えられている(五重塔の西)。しかし、もともとこの場所にあったものではない。旧在地の状況は次の古図が明らかにしている。

  1. 東海道分間絵図(菱川師宣、元禄3年・1690)
  2. 川崎宿船場町絵図(明和2年・1765)
  3.  東海道分間延絵図(享和年間・1801~04)

 なお、『駅路の鈴』(宝永6年・1709)には「左ノ方ニ道アリ、石ヲ建テ大師河原ノ道ト書タリ」と記されている。
 この道標はもと川崎宿の万年屋の脇、東海道より大師道に別れる地点に建てられていた(川崎区本町2丁目付近)。道路改修のため平間寺境内に移されたのは戦後のことである。
 道標は山状角柱で材石は安山岩である。4面に次の刻銘がある。

弘法大師道標 刻銘

 建立の寛文3年(1663)は道標としては古く、しかも大型である。300年の風雪に耐えて、摩滅・破損のほとんどみられないことは特筆に値する。なお全国的にみると、道標の建立はおおむね元禄前後からのようである。
 道標はふつう三叉路、十字路など道の分岐点に建てられ、それぞれの道の行く先を示すものであるが、この道標は大師への参詣路のみを明らかにする標識となっている。四国の遍路道標などに通じる内容である。
 江戸時代も寛文・延宝ごろになると、にわかに街道の往来が賑やかになってくる。川崎宿あたりも、大山講や富士講、伊勢参りなどの旅人が次第にその数を増してくる。そんなことから、街道筋も整備が進み、各地に道標が建てられるようになるのである。はじめは多分木製のものが多かったと思われるが、石仏や墓石の造立の機運を反映して石造の道標が生まれてきたのであろう。
 『川崎の道標調査報告書』(平成3年)によると、道標の内容をもつ石造物は72基となっている。平間寺のこの道標が最古で、続いて平間寺山門脇の貞享元年(1684)、石観音(川崎区観音2-16)の元文6年(1741)のものが記録されている。
 川崎近傍では藤沢市藤沢2丁目・白旗神社にある寛文5年(1665)の庚申塔(笠付角柱)に「これよりほしのやかいとう」「これよりはちおうしかいとう」とある。また横浜市戸塚区柏尾町不動堂には寛文10年(1670)の山状角柱の橋供養の石塔があるが、左側面に「從是大山路」とある。
 川崎市とその周辺に現存する寛文~元禄ごろの道標はほとんど山状角柱である。このころこのような道標の一つの型態が生まれた。その後、庚申・馬頭観音などの石仏の一部に、またその基礎に道しるべを加えたものが多くなっていく。

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