昭和電工川崎工場本事務所
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昭和電工川崎工場本事務所 1棟

建築年代
昭和6年(1931)

規模
765平方メートル

構造形式
鉄筋コンクリート造(一部木造)2階建

所有者
株式会社レゾナック川崎事業所

所在地
川崎区扇町5-1

指定
国登録有形文化財
平成11(1999)年9月7日登録

解説
川崎市川崎区南部の海に面して広がる工業地帯は、明治末から昭和初めにかけて埋め立てが行われ、多くの工場が建設された地域である。なかでも川崎区扇町は、東京湾埋立株式会社により昭和3年(1928)に完成した埋立地で、三井埠頭を皮切りに、多数の企業が進出した工業港湾として、京浜工業地帯の中核を形成した地域である。
昭和電工川崎工場本事務所は、この扇町埋立地の北西部に位置し、昭和初期にこの埋立地に進出した企業によって建設された工場建築の一つである。昭和6年(1931)に、前身である昭和肥料株式会社の事務所として建設された。設計者は不詳であるが、施工者は清水組(現清水建設)であることが判明している。
外観は、縦長の窓を並べた鉄筋コンクリート造2階建、陸屋根で、正面中央に車寄を低平に突き出した簡素な意匠である。玄関を入ってすぐ、吹抜けの階段部分にあるステンドグラス・階段の手すり・腰壁の装飾などに、戦後改修されているものの、当時の面影がしのばれる。
ちょうどこの建物が建てられた年、この工場では、当時不可能とされていた国産技術と機械による日本初のアンモニア合成に成功、国産技術による合成硫安(無機肥料)が生まれた。その後も新たな技術開発が進められたが、第2次世界大戦下、川崎工場は7回にわたる空襲により、最終的に全設備の74%を失う壊滅的打撃を受け、その機能を停止した。終戦後、すぐに工場復旧を決定し、年内に生産を再開している。
このように、昭和電工川崎工場本事務所は、その建設年代や内部意匠、著名な施工者の関与などから見て、昭和初期の京浜工業地帯の川崎臨海部における代表的な工場建築の一つということができる。
なお、現在も株式会社レゾナック(昭和電工株式会社から事業継承)川崎事業所で利用されている現役の建物であり、工場敷地内であるため、一般公開は行われていない。


昭和電工川崎工場本事務所正面図


昭和電工川崎工場本事務所側面図


昭和電工川崎工場本事務所1階平面図(参考)

お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
電話: 044-200-3305
ファクス: 044-200-3756
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