紙本一部金箔地着色柳・白鷺図屏風
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紙本一部金箔地着色柳・白鷺図屏風 6曲1双
年代
江戸時代中期
法量
各隻
- 縦153.2cm
- 横353cm
所有者
川崎区大師町4-48
指定
市重要歴史記念物
昭和59(1984)年10月30日指定
解説
款、印共にないが狩野派画人による大和絵系土佐派様式を加味した画風を示している。大和絵とは本来、日本の風俗を主題に画いたものを意味したが、鎌倉末以降、移入された中国の宋元画やその影響を受けた漢画に対し平安以来の伝統的絵画様式を指す。狩野派は室町幕府の御用絵師となった狩野正信(1434~1530年)を始祖とし、以後代々、信長、秀吉、徳川将軍家の御用絵師として4世紀に亙って存続した画壇の漢画系一大流派であるが、一方、大和絵系の伝統画法を継承した土佐派からも、その画法を学び、併用、吸収して和漢様式の融合へと向かった。
戦乱の世の為政者による相次ぐ築城に伴い、狩野派は御用絵師として数多くの障屏画を手がけ、桃山時代には永徳(1543~1590年)が出、水墨はもとより濃絵の華やかな金碧障屏画の全盛期を迎える。
江戸時代に入ると、簡潔な構図の日本的水墨画をよくした探幽(1602~1674年)が弟の尚信、安信とともに徳川将軍家のもとへ江戸下向し、江戸狩野として四家に分かれ流派の隆盛をみる一方、京都では山楽を継いだ山雪(1590~1651年)が京狩野と呼ばれ、従来の桃山様式に独自の幾何学的構図を加え装飾的形式美を生み出した。
本図は、このような山雪、安信以後の伝統様式に装飾性を加えた状態完好の力作である。
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