葵梶葉文染分辻が花染小袖
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葵梶葉文染分辻が花染小袖 1領
年代
桃山時代
法量
丈 128.5cm
裄 58.5cm
袖丈 48.5cm
袖巾 21.0cm
襟巾 14.2cm
所有者
明長寺(川崎区大師本町10-22)
指定
重要文化財 昭和46年6月22日指定
解説
本品は形状、染技法からも近世初頭桃山期の製作になることの明らかな遺品であり、しかもそれを裏付ける文書も伝承されている点で極めて貴重である。
表は練緯、裏は白平絹、薄綿を入れた袷仕立の小袖であり、身巾に対して袖巾が狭く、立褄の短い桃山期の小袖の形態上の特色をそなえている。腰替りの小袖で、胴の部分を白く残し、肩裾は紫の染分けとしており、白地のところへは梶の葉を、紫の部位には葵の葉を縫締絞りで散らしている。梶の葉は水浅葱、萌黄、鶸の3色に、葵の葉は白、水浅葱、鶸の3色にそれぞれ染分けられている。梶の葉柄は墨描きである。兩胸、兩後袖、背の5ケ所に三ツ葉葵の紋が配されている。紋は縫締絞りで白上げとした後、緑、鶸、浅葱、紫、黄の5色の彩糸の刺繍で表わされている。
腰替りの小袖は室町時代以来、上層武家の礼装に用いられてきており、後世の熨斗目小袖の基となったものである。なお、この意匠の類例は上杉謙信所用の小袖や豊臣秀吉所用の胴服などにもみられる。
この小袖の伝来については、同寺に伝わる別記の証文、並びに「新編武蔵風土記稿」巻之七十一、橘樹郡之十四、川崎領、大師河原村の項の同村百姓五百次郎の記事によって、荻田主馬(孫十郎長繁)が元和元年大坂夏の陣における勲功によって、徳川家康から褒美として、黒漆沈金葵沢瀉流水文盃(明長寺に伝存)と共に下賜されたものであることが明らかである。荻田家は長繁の孫の主馬正幸の代に越後騒動により、正幸は八丈島に流罪となり、その子民部等は松江の松平家にお預けとなった。その後許されて浪々の身となり、川崎大師河原村に住していたが、延享5年子孫の荻田幸之助が、この小袖と盃を証文と共に明長寺に預託し、今日に及んだという次第である。
證文の事
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