北條鉄工事務所
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西側正面外観

西側外観(南西方向から)
1階内観(事務室)

建築年代
昭和37(1962)年

規模
建築面積 123平方メートル 総面積 356平方メートル

構造形式
鉄骨造及び鉄骨鉄筋コンクリート造3階建、鉄板葺

所有者
北條鉄工株式会社

所在地
川崎区鋼管通4丁目3番15号

登録
国登録有形文化財(建造物)
令和6(2024)年12月3日登録

解説
北條鉄工株式会社が所在する現在の川崎市川崎区は、東京と横浜に挟まれ、多摩川や東京湾の水運や京浜間の鉄道といった交通の便、低廉な用地を売り物に明治末年以降、積極的に工場の誘致が進められ、浅野総一郎による京浜埋立により、工場用地や港湾が整備された京浜工業地帯の一角を占める地域である。周辺には日本鋼管(現・JFE)、昭和電線電纜等大規模な工場が立地していたが、2000年代以降、産業構造の転換に伴い大規模工場の移転や設備の縮小が進み、現在ではその多くが住宅や高層マンション、商業施設に変貌している。
大正元(1912)年に日本鋼管株式会社川崎製鉄所が創業、その工場施設の建設工事のため、現在の北條鉄工株式会社の前身である重富組が当時の日本鋼管のメインゲートから350mほどの場所に大正3(1914)年に創業した。北條鐵蔵は大正8(1919)年に重富組に入社し後継者となり、昭和20(1945)年に重富組北條鉄工所と改名、昭和24(1949)年には北條鉄工株式会社を設立、昭和34(1959)年には一般鉄骨建築の建築施工体制を整えた。鉄骨制作工場認定制度において当時最高グレードのHグレードを昭和57(1982)年から取得、県下トップレベルの技術をもって稼働してきた。
登録対象の建造物は、北條鉄工の鉄骨製作事業を支えてきた主要工場施設である。周辺の工場が撤退した現在にあっては、北條鉄工の工場建築は、この地域が日本の工業や経済発展の中心をなす工業地帯であったことを伝える貴重な建造物である。
【事務所】
北條鉄工事務所は、現役の鉄工所の事務所棟で、敷地西側の道路に面して建つ。昭和28(1953)年に100人だった職員・作業員が1960年代には300人近くまでに増え、手狭になったため、事務室、更衣室、社長室、集会室などの空間の拡充のために、3階建ての事務所棟が建てられた。
1階は鉄骨鉄筋コンクリート造、2・3階は鉄骨造とし、3階の門型ラーメンに戦後隆盛した軽量鉄骨のラチス梁を用いる。内装の間仕切りや天井下地などは木下地で組まれている。この建物は鉄骨SRC造であるが、軽量鉄骨の各部材は軽いこともあり、当時の木造大工によって、重機を用いないで作れるように工夫された構造体だったと考えられる。
また、以下2つの点で木造在来工法の知恵も用いられている。
(1)細い柱を3.6m程度の間隔で用い、筋交いは地震時に発生する横力に耐えるため用いられている。
(2)柱が細く木造住宅で使用されている簡便な逆T字型の布基礎を使っている。
外観に関しては、街路に接する1階部分はコンクリート下地のモルタル洗い出し仕上げで、2階部分は鉄骨+ボード下地にモルタル洗い出し仕上げとしている。モルタル洗い出し仕上げは、1900年初頭ごろから大戦前後までに特に銀行や公共建築のコンクリート造の外壁の仕上げに盛んに使われた仕上げ材だったが、この建物では、鉄骨下地で用いられており、鉄骨造でコンクリート造と同様な表情を得ることに成功している。
以上のように、構造体、仕上げ材ともに、当時の伝統的な大工や左官職人によって作る新たな建築形式を探究していた形跡が随所に見られる。
内部空間(2・3階)は現在、撮影スタジオとして使われており、特殊な構造体で作られた天井が高く広々とした空間や、当時のままの古い鉄製の窓などが、撮影空間・被写体として評価され、PV(プロモーションビデオ)等に数多く利用されている。

2階内観

3階内観
お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
住所: 〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地
電話: 044-200-3305
ファクス: 044-200-3756
メールアドレス: 88bunka@city.kawasaki.jp
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