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川崎河港水門

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川崎河港水門

住所

川崎区港町66地先

交通案内

京浜急行大師線「鈴木町駅」下車、徒歩6分

地図

解説

 六郷橋から下流にひろがる川崎の街並みをたどっていくと2本のクリーム色のタワーが目に入ります。これが川崎河港水門です。
 タワーの上には、巨大なブロッコリーのような塊が見えます。近くで見てもわかりにくいかもしれませんが、これは、カゴにあふれんばかりに盛られたナシやブドウ・モモなど、かつての川崎の名産を装飾化したものです。
 河港水門は、大正15年(1926)11月に着工、1年半後の昭和3年3月に完成しました。工事費54万円、設計者は、内務技士の金森誠之です。
 それにしても、水門の背後にひかえたわずかな荷揚げ場と船溜りにしては、ちょっと大げさな構造物です。
 しかし、次のような建設の事情を聞くと、その規模も、なるほどとうなづけます。
 河港水門は、当初、市の中央部を縦貫して日本鋼管(株)の横にぬける運河・港湾計画の一環として建設されたものです。そこには、第一次世界大戦による好景気の中で足りなくなった市内の工場敷地を、将来の発展に備えて開発しようという目論見がありました。
 その後、運河・港湾計画は、現在の川崎区内を対角線に横切る大運河計画となって、昭和10年(1935)1月、国の許可を得ました。運河の幅員は33~40m、総工費600万円という大規模なものです。新聞では、「水の都川崎」「港市川崎」と、はなやかに紹介しました。
 しかし、その後の社会情勢の変化から、この計画は、廃止されました。昭和18年3月のことです。
 もし、この「幻の大運河計画」が実現していれば、日本の都市に「水の都」がもう一つ増え、川崎の原風景をより豊かなものにしていたでしょう。
 全国には、水門は数多くありますが、川崎の河港水門のように、規模や意匠が立派で、しかも昭和初期につくられたものは、数えるほどしか残っていません。また、多摩川河畔のユニークな建造物として市民に親しまれており、平成10年(1998)、国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。

所有指定文化財

お問い合わせ先

川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課

〒210-0004 川崎市川崎区宮本町6番地

電話: 044-200-3305

ファクス: 044-200-3756

メールアドレス: 88bunka@city.kawasaki.jp

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