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平間寺

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2010年12月20日

コンテンツ番号32

平間寺本堂

住所

川崎区大師町4-48

交通案内

京浜急行大師線「川崎大師駅」下車徒歩約10分

地図

寺史

 平間寺(へいけんじ)は真言宗智山派の大本山で、金剛山金乗院平間寺と称し、厄除弘法大師または川崎大師として、昔から庶民の厚い信仰をあつめています。縁起によれば、平安時代の大治3(1128)年、平間兼乗(ひらまかねのり)を名のる漁師が操業中、弘法大師像を得、持ち帰って一宇(いちう)を建立安置し、寺号を平間寺としたのを始めとすると伝えます。

 一方、『新編武蔵風土記稿』は、下平間村に称名寺という寺院があり、ある時同寺は真言宗から浄土真宗に改宗し、このため従来の本尊が不用となった。そこでこれを多摩川へ流すと、河口の漁師が拾いあげ、堂宇(どうう)に安置して寺号を旧地の村名をとり平間寺とした、との異伝を記しています。

 この2つの伝承から、平間寺は日本人が昔から持っていた民俗信仰である海上漂着、または水上漂着の神仏を祀(まつ)るという素朴な信仰によって成立したこと、有力な貴族・武士などによって造営された寺院ではなく、地元の漁師などによって支持され、地域に結びついた庶民信仰の寺院であるという特徴をうかがうことができるでしょう。

 戦国期に作成された『小田原衆所領役帳』に「大師河原」の地名がみられますが、ここにも漂着神のおもかげが推定できます。しかし、近世以前の寺史はほとんど不詳です。

 寛永5(1628)年、江戸の商人によって境内に「六字名号塔」(ろくじみょうごうとう)が建立され、慶安元(1648)年には、幕府から6石の朱印を拝領しています。

 降って寛政8(1796)年、将軍家斉が訪れて厄除け祈願を行い、文政元(1818)年には御成門も造営されました。幕末に日本を訪れたアンベールは、「川崎にはいくつも寺があるが、その中で立派なのは大師河原平間寺で、日本のもっとも純粋な仏教建築の1つに違いない」(『幕末日本図会』)と記し、ペリーは「ずっと見えていた目標は、川崎近くの寺院の塔で、そのあたりは川崎大師河原と呼ばれる名だたる盛り場であった」(『日本遠征随行記』)と記しています。

絵画

絹本着色 地蔵菩薩・二童子図

絹本着色 地蔵菩薩・二童子図

絹本着色 日輪大師像

絹本着色 日輪大師像

 平間寺は厄除大師として人々の信仰を集め、そのにぎわいは『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)に「正五九月の21日参詣多し、就中(なかんずく)3月21日は御影供にて詣人稲麻(とうま)の如く、往還の賑(にぎわ)ひ尤夥(おびただ)し」と記され、文政11(1828)年刊の『十方庵遊歴雑記』(じゅっぽうあんゆうれきざっき)にも「門外に商家酒楼食店等軒をならべ」と門前町の様相を伝えています。そのにぎわいは現在も変わらず、それだけに崇敬者によって寄進施入(せにゅう)された寺宝も多かったものと推定されます。なかには美福門院が皇子誕生祈願の成就を謝して、御化粧具の紅をもって書写奉納した紅縁起(べにえんぎ)1巻もあったと伝えていますが、残念ながらたびたびの罹災でそれらの多くを失い、今日幾つかの仏画類が文化財の指定をうけているにとどまります。

 当寺は弘法大師によって日本へ伝わった真言密教系の寺院であり、当然残された仏画中にも密教画が多く、とくに室町時代の絹本(けんぽん)着色弘法大師像、南北朝時代の絹本着色不動明王像、鎌倉時代の絹本着色愛染明王像等はその代表的なものです。

 時代は降りますが、他にも江戸時代の絹本着色両界曼荼羅図なども注目に値します。

 また、顕教系の仏画では、ともに鎌倉時代の絹本着色地蔵菩薩・二童子図及び地蔵菩薩図をはじめ、同じく鎌倉時代の絹本着色毘沙門天像などがあります。

 世俗画としては、江戸時代の2曲1隻・紙本金地着色秋草図屏風は、琳派系のすぐれた名品です。

 なお、文政3(1820)年、本堂再建に際し、講中の人々が寄進した絹本着色日輪大師像は、軸裏に開眼供養の文書一通と発願主12名、講中30名の名前を記した文書が貼付され、大師信仰史資料として貴重な価値を有しています(以上、いずれも市重要歴史記念物)。

 最近は、現代画壇で活躍中の作家の作品も数多く奉納され、文化財に彩りをそえています。

石造物

六字名号塔

六字名号塔

弘法大師道標

弘法大師道標

 文献資料の乏しい川崎大師にとって、広い境内に残された数多い石造物は、歴史の間隙(かんげき)を埋める貴重な資料といえます。

 とくに近世の冒頭を飾る寛永5(1628)年銘の六字名号塔(ろくじみょうごうとう)(市重要郷土資料)と、寛文3(1663)年銘の弘法大師道標(市重要歴史記念物)は、川崎大師の特質ともいえる庶民信仰のモニュメントです。

 浅井了意の著した『東海道名所記』によると、江戸の京橋に紀伊国屋作内と呼ぶ商人がおり、彼は無筆文盲でしたが、熱心に大師を信仰し、機会をみては参詣を怠りませんでした。ある時、参拝の帰りに六郷橋の上で筆を拾い、持ち帰って墨をすって筆をとると、南無阿弥陀仏の六字名号をすらすらと書くことができました。彼は随喜してこのことを石碑に刻み、大師へ奉納したといいます。

 また、弘法大師道標は、もと東海道川崎宿と大師道との岐路に置かれていたもので、大師参詣者は川崎宿へ入り、この道標に導かれて多摩川の河口へと進み、大師へ至りました。

 石碑の表面に『大師河原 災厄消除 従是弘法大師への道』とあるように、江戸時代以来大師は厄除けの霊場で、歴代将軍の参詣も厄落しを主目的としています。

 文化6(1809)年3月7日に大師を訪れた太田南畝(なんぽ)によって記された『調布日記』では、「大師河原平間寺にいたる。去年の師走17日と26日詣でしなり。42の歳の厄とやらんいふものを除かんとて、必ず人の詣で来る所なるを、去年60にして初めて詣で、今日まで三度来れるもおかし」とあり、境内にあった六字名号塔を拝し、その銘文を書きとっています。

 なお、境内には、宝暦6(1756)年3月御三卿の一つ田安家によって奉納された宝篋印塔(ほうきょういんとう)、天保10(1839)年、川崎宿と大師門前を結ぶ大師道の道普請完成記念碑など、興味深い石造物があります。

所有指定文化財

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