稲毛神社
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住所
川崎区宮本町7-7
交通案内
JR・京浜急行「川崎駅」下車、徒歩10分
地図
解説
稲毛神社は、明治以前は「川崎山王社」と称し、現在も氏子の間では「山王さん」の名で親しまれています。社伝では欽明(きんめい)天皇の時代(6世紀頃)に鎮座したといい、江戸時代に編さんされた『新編武蔵風土記稿』では、源頼朝の頃、佐々木高綱が奉行(ぶぎょう)となって社殿を造営したと伝えています。また、上丸子日枝神社縁起をみますと、日枝神社すなわち山王社は、近江坂本の日吉大社の御分霊をまず稲毛庄内河崎村へ勧請(かんじょう)し、のち上丸子へ遷座したと記しております。稲毛神社がもと山王社といわれたのは、そのあたりに理由があるものと推定されます。
いずれにせよ平安時代には存在し、河崎庄(かわさきのしょう)の鎮守社であったと考えてよいと思われます。
時代が降り応永11年(1404)、「武州河崎郷山王社」へ大般若経書写奉納(だいはんにゃきょうしょしゃほうのう)の勧進(かんじん)を行うために記された草稿が、『長弁私案抄』(ちょうべんしあんしょう)中に残されています。
近世に入ると、天正20年(1592)に代官頭伊奈忠次の検地によって、社領22石1斗8升6合が確定され、慶長4年(1599)には朱印地20石が安堵(あんど)されました。
江戸時代を通し、東海道川崎宿の総鎮守として人々の崇敬を集め、師走27日には境内に市(いち)が立って賑わいました。
安政5年(1858)夏、コレラ流行のさい宿民が昼夜裸参りをして無事を祈願しています。
夏の例祭は山王祭と呼ばれ、『東都歳次記』(とうとさいじき)に「駅中にて花出し、踊り等出して賑える事甚し」と記された大祭です。祭りの中心は衰弱した神の霊を再生させる姥ヶ森(うばがもり)への御輿渡御(みこしとぎょ)ですが、祭儀中に関東ではめずらしい宮座式(神奈川県選択無形民俗文化財)をとどめていることが注目されています。
境内には享保14年(1729)6月、田中休愚の手代衆らによって奉納された手洗石(市重要歴史記念物)や、寛保2年(1742)の洪水で破損した小土呂橋の一部が保存されています。
所有指定文化財
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