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紙本金地着色 秋草図屏風

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2010年8月13日

紙本金地着色 秋草図屏風

紙本金地着色 秋草図屏風 2曲1隻

年代

江戸時代初期(尾形光琳筆)

法量

縦150.1cm 横178.8cm

所有者

平間寺(川崎区大師町4-48)

指定

市重要歴史記念物 昭和59年10月30日指定

解説

 金箔地に、薄、桔梗、朝顔、葛、薊、女郎花など9種の秋草を、画面右斜め下方に構図し、線画を生かした余白の大きい比較的瀟洒な画趣を示している。画面左下隅に「法橋光琳」の款記と「伊亮」の朱文円印がある。
 作者尾形光琳(1658~1716)の草花図は「草花図巻」(東京国立博物館蔵)にみられる写実に基づいた装飾性豊かなものであるが、本図は宗達画の模本的性格をもつ「槇楓図屏風」(東京芸術大学蔵)に近く、宗達派の宗雪や喜多川相説の画く草花図の延長線上に位置づけられる。元禄14年(1701)法橋に叙せられた44歳以後の制作で、金地上の彩色部分に剥落があり補筆されている。現在の形状が当初からのものであるか、改修されたものかの判断は別として、現状において完好な作品で、川崎市にある唯一の琳派巨匠の作例として特筆にあたいする。光琳草花図としてはもとより、一連の琳派草花図としての価値は高い。
 尾形光琳は、京都東福門院御用の呉服商雁金屋尾形宗謙の第2子、幼名市之丞、名は惟富、のち惟亮、方祝。光琳は号、弟に乾山(号)がいる。父宗謙も書画をはじめとする芸道をたしなむ趣味人で、光琳は乾山とともに幼少より風雅な教養を身につける。画事は父のほかに、狩野派の山本素軒、素程父子に学んだが、次第に宗達にひかれ、その派の装飾的な画面構成を追求する一方、伝統的な大和絵の画法や水墨画にも習熟、自らの画風を完成した。
 二条綱平(摂家)や中村内蔵助(銀座役人)ら一流人士との親交は、光琳芸術を一層洗練させ、元禄14年44歳で法橋となる。しかし親ゆずりの財産を使い果たし、宝永元年(1704)江戸に下り、酒井雅楽頭や深川木場の冬木喜平次のもとに出入りし、再び京都にもどって59歳で歿す。
 光琳の芸術的才能は、生活手段としての絵画制作にとどまらず、漆芸や染織など工芸全般に及び、その斬新な意匠は、たんに元禄文化を代表するばかりでなく、光悦にはじまり、宗達、光琳、乾山、そして抱一と貫流展開した芸術様式が、後世光琳の琳をとって琳派と呼ばれたことも、様式完成者としての光琳の創造性が評価されたからである。
 代表作に「燕子花図屏風」(国宝・根津美術館)、「紅白梅図屏風」(国宝・MOA美術館)、「八橋蒔絵螺鈿硯筥」(国宝・東京国立博物館)、「扇面貼交手筥」(重文・大和文華館)などを挙げることができる。

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