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六字名号塔

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2004年12月8日

六字名号塔

六字名号塔 1基

年代

江戸時代〔寛永5年(1628)〕

法量

高さ 175cm
幅 61cm
奥 26cm

所有者

所在地

川崎区大師町4-48

指定

市重要郷土資料 昭和63年11月29日指定

解説

 川崎大師平間寺の境内に立つ、南無阿弥陀仏の六字を陰刻した名号塔。板碑型で枠どりがしてあり、蓮座の上に名号が乗る型であるが、蓮座は蓮弁・蓮実とも線刻である。銘文が塔身正面・裏面、台座につくが、塔身部の年号寛永5年(1628)と台座の干支戌午が一致しない。これは後に観心敞範なる僧によって台座が添えられたからと考えられる。

六字名号塔 銘文

 この塔は、『江戸名所図会』(天保2年)によると、「(大師)堂前左の方」にあったとされるが、何度かの移動の末、現在地の中書院中庭に置かれた。関東大震災の時、倒壊し十数片に砕けたものを復元したため、判読不能の部分が生じている。この銘文を記したものに太田南畝の『調布日記』3月8日(文化6年・1809)、『南畝莠言』(文化14年・1817)、敬順の『十方庵遊歴雑記』二編の下第三四(文化12年・1815)及び斉藤月岑『江戸名所図会』巻二(天保2年・1831)がある。いずれも不明箇所は「万人染愚筆為」となっている。読みは次のごとくである。
 「武州江戸京橋紀国屋桜井又大夫正月二日御霊夢の所、六郷大橋にして大師の御筆を蒙り、此名号法名 雪月盛居士、万人に愚筆を染めて供養となすなり」
 これについては浅井了意の『東海道名所記』(万治元年刊・1658)に詳しく由来が載っている。江戸京橋の作内という無筆文盲の酒売りが川崎大師に日参のところ、ある日の夢に弘法大師が現れ、六字の名号の書き方を教えた。翌朝六郷の橋で筆1本を拾い、それで弘法大師の書式そっくりに六字の名号を書したというものである。弘法大師が書の達人であるということと、阿弥陀信仰が結びついてできた霊験譚であろう。石塔建立日の3月21日は弘法大師の命日とされる御影供にあたる。夢をみた日も正月2日の初夢の日になっている。宗派にとらわれない近世初期の大師信仰が窺われる。
 『平間寺史』(昭和9年)によれば、この塔は、「無筆名號の碑」として扱われている。全国的に見ても近世の名号塔としては古いものであり、形態、書式は関東板碑に多出する時宗二祖真教流といわれる楷書様式を引くものである。川崎市内でも名号塔としては最古のものである。
 なお、川崎大師境内にはもう1基、寛文3年(1663)の弘法大師道標(市重要歴史記念物)があり、双方あわせて江戸時代初期の江戸庶民の川崎大師信仰を知る上で貴重な歴史資料となっている。

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