芭蕉の句碑

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2010年12月20日

芭蕉の句碑

芭蕉の句碑

住所

川崎区日進町11-9

交通案内

JR浜川崎線・京浜急行「八丁畷駅」下車、すぐ

地図

解説

 俳聖と言われている松尾芭蕉の足跡をしるした句碑が、京浜急行八丁畷(はっちょうなわて)駅のすぐ近くに建立されています。
 芭蕉は、正保元年(1644)伊賀上野に生まれ、伊賀上野藩の侍大将藤堂良精に仕えていましたが、延宝8年(1680)江戸に下り、深川の芭蕉庵に住んで俳諧の道に精進しました。はじめは北村季吟などに師事していましたが、天和元年(1681)に「枯枝に烏」の句を境に「蕉風」を確立し、俳諧に高い文学性を与えました。
 元禄7年(1694)5月、江戸に住んでいた芭蕉は、子の治郎兵衛と共に郷里の伊賀へ旅立ちました。芭蕉との別れを惜しむ江戸の門人の利牛、野坡、袋水は多摩川を渡り、川崎宿まで見送りにきて八丁畷の榎だんごという店で最後の別れをかわしました。この時、芭蕉が詠んだ句が「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」です。
 その後芭蕉は、旅の途中の大阪で発病し、同年10月12日、51歳の人生を閉じ、粟津の義仲寺に葬られました。
 芭蕉の著作としては、『野ざらし紀行』や元禄2年(1689)5月8日弟子の曾良を伴って東北地方を旅をしたときのことをまとめた『奥の細道』や『炭俵』『猿蓑』などがあります。
 芭蕉が亡くなってから130年後の文政13年(1830)8月、俳人一種が桜井梅室(天保の三大俳家)に揮毫(きごう)してもらい、麦の穂の句を八丁畷に建立しました。
 芭蕉の句碑は、川崎市内にはこの句碑のほか4基(川崎区平間寺・稲毛神社、高津区宗隆寺、宮前区影向寺)あるといわれていますが、芭蕉が句を詠んだ地に建てられた句碑は、箱根山で富士を詠んだ句碑など数基しかありませんので、その点でもこの句碑は大変貴重といえます。

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