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下原遺跡

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下原遺跡出土品

地図

解説

 下原(しもっぱら)遺跡は、東名高速道路建設の事前調査として昭和40・41年(1965・1966)に発掘されました。その結果、縄文時代中期・後期・晩期・弥生時代後期、古墳時代前期と、各時代の遺構が見つかり、長期間にわたって村がつくられていたことがわかりました。
 この遺跡の主体を占める縄文時代晩期(約3000年前)では、建て直しを含めると7軒の住居跡が発見され、このうち2号住居跡は2回の拡張があり、最終的には一辺が10mをこす超大型のものでした。住居跡の南西側では、約2mほどの長方形の墓壙(ぼこう)(墓とした穴)が約30基見つかり、その中には大形の土器片や石器などを意図的に埋置しているものもありました。
 遺物は非常に多量で、石器では、石皿・磨石(すりいし)・石斧などのほかに約600本という異常な数の石鏃(せきぞく)が発見されています。このことは、遺跡の端から土壌化されずに「骨塚」といった状態で、シカやイノシシなどの獣骨が多量に見つかっていることから、その石鏃の多さと必要性もうなずけます。
 土器では、注口(ちゅうこう)土器や壺などのほかに、すかし彫りの入った工芸的にも優れた台付の坏(つき)や、東北地方の大洞(おおぼら)系の土器なども出土しています。さらに、装身具では、骨を磨いて文様を刻んだヘアーピンや、垂飾り、赤色を塗った耳飾りなど、多様な生活内容を示す品々が見つかりました。また、この他で、特に注目されるのは、土偶・土版・石剣といった信仰用具と考えられる遺物でした。これらは縄文時代後期頃から増加するものですが、特に晩期には顕著にあらわれてきます。生活用具・石鏃・信仰用具の量の多さは、数少ないこの時期の遺跡である、町田市なすな原遺跡や調布市下布田遺跡でも同様の傾向にあります。このことは、この時期が天候不順であったといわれ、それらの自然環境の悪化等が、信仰と深く結びついたのかもしれません。また、遺物の多さは、一定区域内の長期的な定住が進んだためとの説もあります。いずれにせよ、多摩丘陵の縄文時代晩期の実態はまだ謎を多くもっていますので、下原遺跡の資料もその解明に重要なカギをもっているといえましょう。

縄文時代晩期の土器

お問い合わせ先

川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課

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